東京 closing down

青年の日常や苦悩と歯痒いまでのリアリティに落とし込まれる楽曲の数々に、全編エンドロールな新進気鋭の問題作 Photo by shun nishimu

ろくでもないこと

 

 

「人生は煙草みたいなもんだ。最期はみんな灰になる。」

 

宮沢は火をつけたばかりの煙草をゆらゆらと揺らして言った。

 

「それなら別に、ビールだっていいじゃないか。飲み干せば最後には」

 

そう言って葛木はビールを一息に飲み干し、骨しか残らない、と続け、音を立ててジョッキを置いた。

 

宮沢は灰皿のふちで灰を削りながら、溜め息のように煙を吐き出した。

 

「ビールでは駄目だ。それはお前が飲むから空になるだけで、飲まなければ減ることはない。煙草は火がつけば放っておいても身を削る。」

 

皿を下げようとした店員に追加のビールを頼んだ葛木は、赤らめた頰に手をついて宮沢を眺めた。

 

「お前はわかってないな。ビールは鮮度が大事だ。炭酸が抜けてぬるくなれば不味くなる。自殺と同じだ。」

 

葛木は宮沢のジョッキに残ったビールを顎でしゃくった。

 

宮沢は言われなくてもわかってる、と表情に出しながらビールを飲み干すと、苦い顔のまま去り際の店員にジョッキを手渡した。

 

そして短くなった煙草を揉み消し、首を振って答えた。

 

「不味かろうが人生は続くんだ。楽しくないから止まるものでもない。平等に時間は流れるんだ。こうして大学生が行くような居酒屋で冴えない男が向き合うその間にも、ディズニーランドではパレード隊が行進して、路地裏のラブホテルは満室だ。」

 

宮沢は漬物を一口摘み、箸を持ったまま葛木を指す。

 

「いいか。煙草は何時だって旨いもんではない。むしろ不味いときの方が多いさ。人生にしてみたってそうだろ、いい事なんてそうあるもんじゃない。それでも、命を燃やし続けるしかないんだ。」

 

通りでこの歳になってもこんな安居酒屋で飲んでるわけだ、と葛木はおどけてみせた。

 

それには答えず宮沢は続けた。

 

「そして最後には吹けば飛ぶような灰と、吸殻という名の骨が残るだけだ。たかが数十年の人生では、世の中に大したものは残せない。福沢諭吉のように紙幣に顔が載るほどの偉業を成し遂げない限りな。」

 

ダウンタウンさんのお笑いはまさに偉業だと思うけどね。世代を超えて評価され、受け継がれる。」

 

「俺たちみたいに、たった数秒観客の笑いを誘う程度なら、旬が過ぎて、燃え尽きてしまえばお終いだ。はらりと舞う灰には誰も目もくれない。」

 

宮沢と葛木は幼稚園からの幼馴染だった。同じ小学校、中学校を経て、高校こそ別を辿ったが交友は続き、卒業と同時にお笑いのコンビを結成した。

 

アルバイトで貯めたお金を手に、五年前に上京した。

 

強烈なキャラクターや、トリッキーなギャグが求められる現代のメディアに対して、古典的とも呼べる漫才スタイルの二人は苦戦を強いられていた。

 

それでも、と葛木は言う。

 

「それでも、その瞬間は最高だ。どこの誰かも知らない他人を笑顔にできた瞬間だけは、幸福を感じれる。自分達は間違っていなかったと、世間に認められた気がする。」

 

「まあな。」

 

宮沢は息を吐くように笑うと、運ばれたビールに口をつけた。

 

普段は意見が全く合わない二人だったが、ひとたびお笑いのこととなれば別だった。

 

流行り廃りでなく、お互いが一貫して信じるそのスタイルは、決して大衆受けのいいものではなかった。

 

二人はキャッチーさや、ただテレビ映えするという理由だけの一過性の笑いを嫌った。

 

そしてテレビ関係者やオーディションの審査員には、分かりやすいギャグや動きを取り入れなさいと、幾度となくアドバイスを模した皮肉を言われている。

 

それでも二人は意に介すことなく、感情的な葛木は時に批評家に噛み付きさえした。

 

クライアントに歯向かう、言わば芸人生命の危機とも言える行動だ。

 

しかし宮沢はというとそれを咎めることもせず、その空気の中でまるで漫才の延長のように葛木にツッコミを入れる。

 

葛木もそれをわかってか、突拍子もなくボケることが多々あった。

 

ーーさっきから偉そうなことばっかり並べてるけど、よくよく考えたらあんたら何様だよ。

 

ーーいや審査員だよ、批評していただいてるんだよ。

 

ーーお批評さん?

 

ーーお師匠さんみたいに言うな。

 

ーーだいたい動きを入れろとか何とか言うけどな、芸人みんなそれしてたらもうエグザイルでしょ。

 

ーーそういう動きを入れろとは言われてませんけどね。もうダンスユニットですね。

 

それは紛れもなく、家族以上の距離感で過ごしてきた二人の過去があり、お互いのバックボーンを理解した間柄だからこそ成し得るものだった。

 

しばらくの沈黙のあと、ところで、と葛木は切り出した。

 

「さっきの話だけど、同じ紙巻なら、俺はマリファナがいい。するとどうだ、吸えば最後、みんなハイになる。」

 

「人生を説く比喩にマリファナなんて論外だ。」

 

「それを言うなら二十年前のお前の母親に聞かせてみたいね。息子さんは二十年後、安居酒屋で煙草を吸いながら、人生ってのは、なんて語り出しますよってな。」

 

「ついでに二十年前の俺にも伝えておいてくれ。葛木くんとは関わらない方が身のためだ、と。」

 

「それはいい。そうすれば葛木くんも、この歳になってまでこんな安居酒屋で胡散臭い男の人生講座を聞かなくて済むからな。」

 

少し間を置いて、次の煙草に火をつけながら宮沢はトーンを落として言った。

 

「芸人なんてなるもんじゃない。満員電車に揺られながら会社勤めをするサラリーマンを尊敬するよ。よっぽど賢い。」

 

顔を覗き込むようにしたあと葛木は、宮沢の煙草を一本抜き取った。

 

「本当にそう思うなら、最初から上京なんてしてないだろ。確かになるもんじゃない。でも芸人は、最高なんだよ。」

 

ライターを手渡しながら、まあな、と宮沢は笑った。

 

 

1グラムと空中分解 2/10 15:00

 


一万円を無くした。


それは決して、新宿の居酒屋でぼったくられたとか、パチンコで負けたであるとか、はたまたヤフオクで使い物にならないものを一万円で落札したわけでもない。

単に、一万円札を紛失しただけだ。

仕事の関係で二万円の立替が必要になることがあり、入金されて間もない給料をATMから引き出し、封筒に入れて用意していた。

そして現場に向かうと実際には一万円しか必要ないことがわかったので、その場で一枚抜いてポケットに収めた。

そして、無くした。

おれはスプーンを曲げることは出来ないし、相手が選んだトランプのカードを当てることも出来ない。

マジシャンではないおれが一万円札を消すことが出来るとすれば、不特定多数の人が行き交う職場で落とす以外に手はない。

財布も鍵も携帯も煙草も無くすことがないおれが、一万円札を落とした。

一万円札は1000枚で約1000gらしい。

一枚あたり約1gだ。

時給1000円で10時間働けば、一万円になる。

10時間の労働がたったの1グラムと、等価値なのだ。

そう考えれば、電子マネーの類は恐ろしいものだ。

実体を持たない情報に変化したそれを、大した理解もないまま受け入れている。

自動発券機でSuicaに千円チャージするたび、不安に思う。

「チャージが、完了しました。」

ほんとに?と、思う。

そして自動改札機にタッチしたとき、残高に反映されていることを確認して、ほっとする。

それが真実かどうか確認する術を、おれはもっていない。

おれはマジシャンじゃないから。

考えたって仕方がないので、喫煙所に向かった。

煙草一本、これも約1グラム。

『スモーク』という映画で、印象的なワンシーンがある。

映画の冒頭で、舞台となるタバコ屋の常連客が得意気に話し始めるのだ。

「煙の重さを計る方法があるんだぜ」

それはつまり、まず吸う前の煙草を秤に載せて重さを量る。

そして燃え尽きて灰になった煙草をまた秤に載せ、吸う前の重さと差し引けばいいと、言う。

なるほど、と思いながらも、なんだそれは、とも思う話だ。

薄くなるノートパソコンは、本当にノートみたいに取り回しが易くなった。

厚着しなくても、ヒートテックを着れば暖かい。

辞書も長編小説も週刊誌も、電子書籍の登場で只の情報容量と化した。

世の中から、重さが減っていく。

世の中が、軽くなっていく。

重力に逆らい、空を飛べる日もそう遠くないのかもしれない。

“薄い!軽い!”

そんな謳い文句が世の中を飛び回る。

そのまま煙草の煙みたいにぷかぷか浮かんで、壁を黄ばませるヤニのように、世界丸ごと、みんな全部、空に染み込んでいく。

誰もいない商店街、点滅するネオン、空っぽの高層ビル。

ポケットから落ちた一万円札が、空をゆらゆらと舞う。

ひらひらと、ゆっくりと、1グラムが舞う。

2/10 15:00

忘却と怠惰 1/27 5:00

 

 

やらないといけない事が無いわけじゃないけど、それはなんとなく、今じゃないと思えた。

かと言って、他にやることがあるわけでもない。

確かに今、少しでも空いた時間に済ましておけば後々楽になるタスクもある。

でもなんとなく、今じゃないと思えた。

布団に転がり、取り込まれた洗濯物の山を眺める。

洗濯するということは、着たということだ。

着たということは、畳まれたそれを広げたということだ。

どうせ着るなら、畳まなくても同じではないか。

これは、今することじゃない。

洗濯物の手前、積み上げられたCDにピントを合わせる。

部屋にいるときは、必ず何かしらの音楽を聴く。

その時の気分、買ったばかりのもの、単なるBGMとして。

CDを聴くということは、棚から出すということだ。

どうせ聴くなら、収めなくても同じではないか。

これも、今することじゃない。

積まれたCDから少し右に、しおりがはみ出た単行本がある。

仕事で必要になる情報収集の為に、読んでおかなければ。

でも、ページを捲っても、頭に入ってなければ意味がない。

今読んだとしても、それは文字の羅列を目で追うだけだ。

今、読むべきではない。

単行本から目線を上げ、天井を眺める。

そういえば、お腹がすいたな。

直近の食事から数時間が経っている、当然空腹も感じるはずだ。

でもどうせ明日になれば、朝飯なり昼飯なりを食べることになる。

そのとき満腹になるなら、今食べなくても同じだ。

眠気はない。

でもなんとなく、目を閉じた。

彼女との記念日に無頓着で、怒られたことがあった。

付き合い始めの頃は、意識せずとも気付いていた。

それでも何ヶ月かすれば、慣れなのか、その日が記念日だと自覚し辛くなった。

スマートフォンが知らせる無機質なアラームに助けられていた。

今日は、1月27日。

あいつが死んでから、二ヶ月が経つ。

恋人との記念日にしてもそうだ、毎月の○日に特別な意味はない。

一年単位での○月○日を迎えてこそ、記念日だと思う。

だから今日が二ヶ月目の27日だとしても、そこに意味はない。

でも、無頓着だった記念日のように、そいつが死んだことさえも忘れてしまうことが怖い。

何年後かの同窓会で、「そういえば」と初めて思い出すようなことは、最悪だ。

目を開け、眩しい室内灯に瞳孔が動く。

単行本、CD、洗濯物の奥、あいつの名前が印刷された紙が壁に立て掛けられている。

二ヶ月前の葬儀の帰り、電柱などに貼られる“○○家”の案内を警備員から貰ったのだ。

A4より一回り大きい厚紙に、筆文字で名字が書かれている。

こんなものが部屋に置いてあれば、嫌でも思い出してしまう。

いかんせん、主張が激しい。

もちろんこれが、宗教的に正しいのかは知らない。

でもあいつなら、笑ってくれそうな気がする。

「お前まじ馬鹿じゃの。わろた」

布団から起き上がり、洗濯物を畳み、CDを棚に収めた。

冷凍された米をレンジに入れ、ケトルで湯を沸かした。

そして片付いた部屋を眺めて、単行本をちらりと見る。

これはやっぱり、今じゃない。

1/27 5:00

ロストタイムと相対性理論 1/20 22:34

 

 

「なるほどな。」

 

「どうしたんですか?」

 

「“E=mc^2”だ。」

 

「なんですかそれは。」

 

アインシュタインの式だ。
 相対性理論って知ってるか」

 

「詳しくは知りません」

 

「E=mc^2、Eはエネルギー、mが重さ、cが光の速度だ。」

 

「なるほどですね」

 

「光の速度は定数だから、Eとm、つまりエネルギーと重さは比例する。」

 

「はい」

 

「そこの太った男を見てみろ」

 

「ふくよかです」

 

「うう…。エネルギーが大きいな。」

 

「なんですかそれは」

 

「さっきも言った通り、エネルギーと重さは比例する。」

 

「はい。」

 

「つまりあの太った男は多くのエネルギーを持っている。うう…。」

 

「ふくよかなエネルギーですね!うう!」

 

「あの若い女を見ろ」

 

「マフラーを巻いています。」

 

「あれは恐らくBURBERRYだな」

 

「お目が高い。」

 

「そして、あの腕時計はOMEGAだ」

 

「OMEGA高い。」

 

「この女は、そうだな、間違い。」

 

「なんですか」

 

「この女、相対性理論してやがる」

 

「本当ですか!?」

 

「まずあのバーバリーチェック、そこから理論は始まっている。」

 

「そうは見えませんが」

 

「始まっているんだ。そう見えるんだ。いや、そう見るんだ。始めるんだ。お前が」

 

「だんだん始まってきました」

 

「始まりがない者に終わりはない。
 終わりがない者に相対性理論はない。
 故に、始まりがない者に相対性理論はないんだ。」

 

「なるほどですね。」

 

「ウッ…!」

 

「大丈夫ですか!?」

 

「あの太った男、一刻も早く痩せた方がいい…」

 

「ダイエットですか!?」

 

「心配ない。それにしてもあの男、完全に比例してやがる。」

 

「E=mc^2ですね!?」

 

「場所を移そう。ウッ…!?!?」

 

「どうしたんですか!?」

 

「あ、あの爺を見ろッ…!!」

 

「あの爺ってどれ…あッ…!!」

 

「うう…ッ。あれは爺ではない…Gだッ…!!」

 

「Gさんが!おGさんの耳が!」

 

「ああそうだ…。完全にイヤホンが量子力学を度外視してやがる…。」

 

「イヤホンが!おGさんの耳にイヤホンが入り込んでいます!」

 

「イヤホンのコードは通常、耳から下に垂れ下がるものだ…。

 しかしGの耳からは、横に、地面と水平にコードが延びている…。」

 

「普通イヤホンは耳に“掛ける”といった表現に近いですが、
 あのおGさんの場合、耳に“突き刺さっている”ように見えます。」

 

「あのGはやすやすと、俺たちの目の前で相対性理論を否定してやがる…。」

 

「!?!?」

 

「有り得ない…。イヤホンが丸々、耳に入り込むなんて有り得ない…。」

 

「でもっ!!でもッ!!」

 

「イヤホンを付ける時にわざわざ説明書を読む奴はいないだろう。
 それはイヤホンを差す向きが誰にでもわかるからだ。」

 

「それはそうですが…」

 

「イヤホンを垂直に差す人間はいない。
 いや言い方を変えよう。
 イヤホンを垂直に“差し込むことができる”人間は、いないからだ。」

 

「ッ!?!?」

 

「人間の耳の穴なんてしれている。
 “これ以上のサイズは需要がない”と仮定されて商品は作られる。
 光の速度を超えることが不可能であるように、50cmの靴は不必要なんだ。」

 

「それはそうですが…」

 

「しかしあのGさんは、我々の目の前で光の速度を超えて見せた。
 “入るはずがない”イヤホンを、突き刺して見せたんだ。」

 

「そんな!」

 

アインシュタインは誤った…。
 Gさんは、光の速度を超える…。」

 

「ウッ…!?!?とんでもない重力だ…」

 

「我々の前に突如として現れたG…。
 Gの参上、か…。いや待てよ…。」

 

「どうしたんですか」

 

「E=mc^2ではないんだ。
 E=G^3!
 エネルギーは、Gの三乗!
 爺の参上だ!!!」

 

相対性理論が!!相対性理論が!!」

 

 

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優先席の前のつり革を握りながら、車内を眺めた。

 

ドア横にもたれる太った男。

 

高価そうな装飾品を身に纏った若い女は、つり革に掴まらずスマホを操作している。

 

そして眼下の優先席には、垂直にイヤホンが刺さった老人が目を瞑っている。

 

会社を出てから聴き始めたONE OK ROCKの最新アルバムは、気がつくと二曲目が始まったところだった。

 

退社してから数十分、それはアルバムがいつの間にか一周していることを物語った。

 

何かに集中しているとき、時間の流れはなるほど早く感じるものだ。

 

午前からパソコンを前に、気がつくと日が暮れ、21時を回っていた。

 

帰りの電車内、物思いに耽っていると、鼓膜を振動させる音楽でさえ思考の邪魔をしない。

 

気がつけば、上京してもうすぐ一年が経つ。

 

途方もなく長く、5年先を考えれば気が遠くなるように感じていた。

 

しかし振り返ってみれば、素っ気く、呆気なくも思う。

 

時間の流れは、本当に平等なんだろうか。

 

光の速度は本当に、一定なんだろうか。

 

あの男を“太っている”と思うのは、とんでもない速度で移動して縦に縮んで見えているだけなんじゃないか。

 

動いているのは電車じゃなく、外の世界なんじゃないか。

 

世間が回っているだけで、俺は動いてないんじゃないか。

 

俺が一年を過ごしたんじゃなく、時間が俺を消化したんじゃないか。

 

まったく野田洋次郎みたいなことを言う。

 

主体はいつだって俺だ。

 

アイムシュタイン、アインシュタイン

 

そしてふと、相対性理論を思い出すのだった。

 

1/20 22:34

 

弁当箱と換気扇 12/28 8:41

 

 

職場では、多忙なスケジュールを抱えるスタッフの為に、出前や弁当の注文をとっている。

 

夜勤のおれはその余りを、夜食として深夜に戴いていた。

 

千円近くする弁当は、一つ一つの具材が丁寧に調理されており、冷めていてもなおコンビニ弁当では味わえない満足を感じる。

 

弁当を食べるとき、ふと中学時代を思い出すことがある。

 

 

通っていた中学校では、各々弁当を持参するか、デリバリーと呼ばれる給食をとる二択があった。

 

その給食だが、小学校の出来立てのものとは違い、他所で調理されて運ばれてくるものだったから、おかずはほとんど冷めており、しかも味も劣ると生徒からの評判が悪かった。

 

一方おれは、毎朝母さんが作る弁当を持参しており、毎日献立の変わるデリバリー給食を羨ましく感じていた。

 

と言うのも、母さんの作る弁当は毎日決まった具材で、いつフタを開けても玉子焼き、ミートボール、きんぴらゴボウ、ピーマンの和え物、ミニトマト、そして白米が変わらぬ配置で静座していた。

 

思い返せば幼稚園の頃からこのバリエーションに変化はなく、苦手だったピーマンも泣きながら食べていたらそのうち平気になっていた。

 

 

いつか、母さんに頼んだことがある。

 

冷凍食品も最近ではクオリティも高くなっており、友人の弁当箱では色とりどりのおかずが美味しそうに並べられている。

 

ウチの弁当にも、冷凍食品のラインナップを増やしませんか?

 

その数日後、弁当箱を開けるといつものおかずの隅に、冷凍食品のハンバーグが詰まっていた。

 

おお、これはハンバーグだ、うまい。

 

しかし冷凍庫のハンバーグの在庫も無くなると、また弁当はいつもの弁当に戻った。

 

その都度おれは冷凍食品を求め、毎日の昼食に若干の不満を抱いたまま過ごした。

 

 

そんな弁当と比べ、不評とはいえデリバリー給食は魅力的だった。

 

毎日違うおかず、なんて贅沢なんだろう。

 

おれは母親に頼み、中学二年生に上がるとデリバリー給食をとるようになった。

 

なぜ不評なのかわからない程、給食は満足だった。

 

確かに小学校のそれと比べれば劣る部分もあるが、冷めているのは弁当にしても同じであるし、味も全然悪くない。

 

素晴らしいデリバリー。ビバ給食。

 

 

それから数年。

 

おれは高校生になったおれは一人暮らしを始めた。

 

自炊は想像以上に手間で面倒で、閉店間際のスーパーの弁当を買った方がお得で楽だと気付いた。

 

そう考えれば、月並みな言葉だけど母は偉大だ。

 

おれの母さんは保育士で、朝早ければ夜も遅くなることがあった。

 

疲れて退社後、スーパーで買い物をして、帰宅したらすぐ夕飯を作る。

 

翌朝早くに目覚めて、家族の朝ご飯と弁当を作って出社。

 

とてもじゃないがそんなタスクこなせないと、当時思った。

 

母さんすげぇよ。

 

そしてふと、思った。

 

おれの中学時代、仕事で朝も早いなら、最初から給食とった方が楽だったんじゃない?

 

作るにしても、チンするだけの冷凍食品の方が、楽だったんじゃない?

 

さすがにミートボールとミニトマトは作ってなかったけど、思い返せば、玉子焼もピーマンもきんぴらも、毎朝早くから、母さんは作っていた。

 

おれが起きるとリビングには、いつも朝食と弁当が用意されていた。

 

それを拒んで、おれが給食を選んだとき、何を感じたのだろう。

 

 

青さとは時に、罪である。

 

冷凍食品の手軽さと美味しさを知りながら、なぜ母さんが手作りのおかずにこだわったのか、今ならわかる気がする。

 

 

それからまた数年。

 

おれは単身上京した。

 

そんな母さんから、時々荷物が送られてくることがある。

 

高校生の頃から、おれがcoenで服を買っていたからか、coenのシャツやニットを送ってくる。

 

おれに金がなくて、服を買う余裕もないのだろうと察してくれたのだろうが、ギンガムチェックは四枚もいらないよ、母さん。

 

頻繁に綿棒送ってくるから、大量の綿棒があるよ、母さん。

 

大家さんに渡すためのクッキー、喜んでくれたよ、母さん。

 

強風で換気扇が逆回転して煙草の煙が部屋に跳ね返ってくるよ、母さん。

 

おれは元気にやっているよ、母さん。

 

ありがとう、母さん。

 

フォーエバー、母さん。

 

 

12/27 8:41

 

煙草と天動説 12/24 6:32

 

《東京の太陽は、ビル間から昇る。》 

 

 

例えば有神論者は、

『この世界は神が創造したのだ』と謳う。

 

生命の誕生も地球の終焉も、神の意向によるものだと説く。

 

であるのなら、人の記憶や過去の記録は何の効力も失って、1995年2月27日におれが生まれたことの証明もできない。

 

もしかすると、神は一年前に、
いまの世界を創造したのかもしれない。

 

記憶や古文書でさえ、

「さっき創りました。」と神が言えば、

それが歴史の証明に成りうることはない。

 

「そういう記憶とそういう状況を、いま創りました。」

と神が言えば、


おれが今、喫煙所にいることも、


5分前に火を付けたこの煙草も、


それが半分まで短くなっていることも、


何の説得力も持たない。

 

中学まで続けた、下手くそで苦痛でしかなかった軟式野球も、


自堕落な生活で寝坊ばかりしていた高校大学も、


後ろめたさと面倒くささで行かなかったおじいちゃんのお見舞いも、


正しいと思い込んだ間違った選択もすべて、


証明の為の仮定にすらならない、
意味を持たなくなってしまう。

 

そのすべてを、「いま創りました。」と神が言うのなら、
じゃあ、こうなったのはおれの責任じゃない、と楽観していいのだろうか。

 

都合はいいけど、ほとほと困る。

 

とことん悔しく、都合がわるい。

 

oh my God、お助けを。

 

まったくもって、ナンセンス。

 

なんて話、あるわけない。

 

存在しないことを、おれは証明できない。

 

それでもいい。

 

どっちでもいい。

 

 

東京はビルばかりだ。

 

13階から外を眺めても、
背の高いビルに囲まれて、
水平線は見えない。

 

5分前に火を付けて半分まで短くなった煙草を吸いながら、
明るんだ東の空に、ビルで隠れた太陽を探す。

 

占いも宗教も神も、とことん懐疑的だ。

 

んなわけねーだろと嘲るこの感情でさえ、
誰かに創られたものだとすれば、完敗だ。

 

でもその“誰か”を作り上げているのも
おれ自身だとすれば。

 

いたちごっこの水掛け論。

 

らちが明かない。

 

そうだとしても、抗うのだ。

 

いたちごっこなら化け続け、

 

水掛け論なら水を掛け続け、


「らちが明かない」と“誰か”が嘆く。

 

「oh my God」と、神が憂う。

 

 

この夜明けは、新世紀の幕開けだ。

 

東京の太陽は、ビル間から昇る。

 

5分間の歴史で、最初の証明だ。

 

12/24 6:32

 

咆哮とジョン・レノン 12/1 12:45

 

《一体何だというのだ》

 

 

プルースト現象とは、嗅覚や味覚から過去の記憶が呼び起こされる現象のことだ。

 

フランスの作家であるマルセル・プルーストの作品、“失われた時を求めて”の作中で、主人公がマドレーヌを口にしたとき幼少期の記憶が鮮明にフラッシュバックされた描写から、プルースト現象と呼ばれるようになった。

 

 

実家の石油ファンヒーターにあたるのは一年ぶりくらいだろうか。

 

特徴的な起動音のあとに、懐かしく暖かい匂いがリビングを這う。

 

そして、ふと小学校低学年くらいの記憶が蘇る。

 

 

印象的なものは2つある。

 

1つは、ギターを趣味としていた父親が集めていたCDやカセットテープで兄と遊んでいたときのこと。

 

お気に入りの遊びは、曲の録音されたカセットテープに、兄とおれが歌ったデタラメな歌を上書きすることだった。

 

例えば、DA PUMPの『if...』が録音されたテープがあり、

サビの歌詞、 『もしも君がひとりなら』

の部分を、 『もしもし亀よ亀さんよ』

と語呂ぴったりに吹き替えするのだ。

 

それを父親に聞かせて、二人で喜んでいた。

 

 

特に印象的なのは、ビートルズの名曲、Let It Beだった。

 

この曲はサビで、

 

let it be let it be

 

と繰り返すのだが、当時のおれたちには

 

ゲリピー ゲリピー

 

としか聞こえなかった。

 

もはやこれは何の曲なんだろう。

 

なんでこの人は、ゲリピーと歌っているんだろう。

 

狂気の沙汰としか思えない。

 

何、真面目な声で、いい感じのメロディーに乗せて、ゲリピーゲリピーと連呼しているんだ。

 

怖かった。

 

 

2つ目は、実家に唯一石油ファンヒーターが置かれていたリビングで、三つ歳の離れた兄と温風の取り合いをしていたときのこと。

 

小さな体で陣取り合戦をしながら生まれたのが、“お尻ゾーン”と呼ばれる奇怪な遊戯だった。

 

温風を譲るまいとおれが得意としていたのは、ヒーターの前にうつ伏せになることだった。

 

こうなればさすがの兄でも退かすことが難しくなる、おれは陣取りの勝ちを確信した。

 

すると兄は突然、「お尻ゾーン。」と発声したのだった。

 

それは、4人対戦のボードゲームバトルドーム”のCMを思い出させた。

 

男性の渋い声が言う「バトルドーム」のそれに酷似していたのだ。

 

「お尻ゾーン。」という聞き慣れない語感と、背筋を這うような不気味な響きは、勝ちを確信したはずのおれを不安にさせた。

 

兄は温風などどうでもいいと言わんばかりに、直立し、まっすぐ前を見つめたまま、「お尻ゾーン。」ともう一度言った。

 

おれは動くことができなかった。

 

一体何だというのだ。

 

お尻ゾーンとは何なのだ。

 

もはやヒーターの暖かさも忘れ、おれは冷えた死体を演じた。

 

そんなおれに構うことなく、兄の「お尻ゾーン。」は始まったのだった。

 

まず、うつ伏せで伸びたおれの足の裏に、兄は立った。

 

小学生の体重だったので痛みは感じず、おれはされるがままだった。

 

そのまま兄は、足に沿うように俺の上を歩き出した。

 

ふくらはぎ、膝の裏、兄はゆっくりと進行していた。

 

ふと気づいたが、兄はおれの部位を踏むたびに何か言っている。

 

兄が太ももに到達したとき、小さな声で「太ももゾーン。」と呟くのが聞こえた。

 

と言うことは、つまり最初に発したのは「足の裏ゾーン。」

次に「ふくらはぎゾーン。」

次に「膝の裏ゾーン。」

 

なるほど、と合点していると、恐るべき事実に気がついてしまった。

 

戦慄しながら恐る恐る首だけで振り返ると、兄はまっすぐ一点を見つめたまま、ゆっくりと歩みを進めていた。

 

そのまま進んでしまえば、どこにたどり着くかは目に見えていた。

 

そして、恐るべきは、ちょうど温風の出る場所が、お尻なのだ。

 

よせ、やめろ

 

しかし兄はおれのお尻の上に立つと、ゆっくりと口を開くのだった。

 

「 お尻ゾ ー ン。」

 

やられた。

 

兄は最初からこれを狙っていたのだ。

 

ところが兄はそのままお尻を通過した。

 

そして腰ゾーン、背中ゾーン、まで進んだのだった。

 

おいまさか、このまま“頭ゾーン。”まで来られるとヤバい。

 

再び首だけで振り返ると、兄はやはり一点を見つめたままゆっくり進んでいた。

「肩ゾーン。」

とうとう肩まで来やがった。

 

このままだとまずい。

 

そこでおれは、両ひじから上体を持ち上げて進行を止める作戦に出た。

 

兄はバランスを崩し、背中ゾーン、腰ゾーンまで後退した。

 

踏み込まれたおれは、ふぐぅと情けない声を漏らした。

 

とりあえず助かったと安堵もつかの間、兄は相変わらず一点を見つめたまま、くるりと方向転換した。

 

そしてそのまま小さく一歩を踏み出した。

 

やられた。

 

兄はエヴァンゲリオンの如く咆哮をあげた。

「 お 尻 ゾ ー ン 」

 

未だに、あの日の挙動が理解できない。

 

石油ファンヒーターの匂いを嗅ぐと、「お尻ゾーン。」が鮮明に蘇る。

 

あれは、何だったのだろう。

 

12/1 12:45