東京 closing down

青年の日常や苦悩と歯痒いまでのリアリティに落とし込まれる楽曲の数々に、全編エンドロールな新進気鋭の問題作 Photo by shun nishimu

これだから人生はやめられない。

 

 

何だって言うんだ。

 

「驚くほど綺麗にウロコが取れる!」なんてキッチン用品を、一体誰が買いに来ているのだろう。

 

俺はただ、霧吹きが欲しいだけだ。

 

時間がない。

 

ひょんな事から仕事で霧吹きが必要になり、それも10分後に欲しいなんて上司が言い出すものだから、職場近くの某激安の殿堂に赴いた。

 

近辺には雑貨店も、100円ショップすらないので、何かあればこの殿堂にお世話になっていた。

 

入社してすぐのとき、「ド◯キ行けば大概あるっしょ」と先輩から有難い助言をいただき、それを忠実に守り、今回も例に習ったのだが。

 

ここの店舗は二階建てなので、まず二階に上がった。

 

あてもなく探し回る時間もないので店員に聞くことにした。

 

こういった場合はまず聞くのが手っ取り早いのだ。

 

 

「霧吹きってありますか?」

 

「霧吹き?えーっと、霧吹き?二階にはないですね」

 

 

言動に一抹の不安を抱きながらも礼を述べ、一階に移動した。

 

一階でも店員に尋ねようと思ったが、あいにく多くの客で賑わい、従業員は皆レジに回っているようだった。

 

これは自力で見つけるほかないなと、端から見て回る、ローラー作戦を決行した。

 

しかし、ファブリーズのように中身がタプタプ入った霧吹き状の製品は存在するものの、空容器がない。

 

面倒なのでファブリーズの中身を捨てて使おうかとも考えたのだが、まずもったいないし、かと言って、買ってすぐ有効に使い切るには、俺自身が森の香りでビチャビチャになることは避けられなかった。

 

一瞬迷ったが、俺は突然ビチャビチャになりたくないので、迷ったことにすら後悔しつつ、大人しく空容器を探すことにした。

 

一番可能性を感じた洗剤の類が陳列された棚もくまなくチェックしたが、空の霧吹き容器の姿はなかった。

 

そしてキッチン用品の棚でくだんの「驚くほど綺麗にウロコが取れる!」謎の器具を発見した。

 

需要がないとは言わない。

 

しかしながら、まずもって、この在庫量と、そのニーズに目から鱗だ。

 

一体何だって言うんだ。

 

ここで、二階で尋ねた店員に疑念を抱いた。

 

そもそもあいつは、霧吹きがこの店にあるかどうかを知らないのではないか。

 

俺は一連のやり取りを思い出した。

 

 

「霧吹きってありますか?」

 

「霧吹き?(そんなニッチな製品は見たことないが)

 

えーっと、霧吹き?(本気で言っているのか?)

 

(少なくとも)二階にはないですね。(一階にあるとは言ってない)」

 

 

なるほど、あいつこそ森の香りでビチャビチャになるべきだ。

 

諦めて、念のため、他のエリアを回ることにした。

 

場違いであることを自覚しながらも、女性向け化粧品売り場に足を運んだが、「誰でもアヒル口に」なんて訳のわからない商品しか目につかなかった。

 

アヒル口になりたいと思う女性がいることにもかなり驚くが、それを数百円で叶えてくれる商品が存在することにもショックを受けた。

 

整形や植毛に関しても同じことを思うのだが、突然顔面が変化したときの周りの反応は気にならないのだろうか。

 

髪を切っただけで、「髪切ったね〜」とニヤニヤ近寄ってくる経理のおばちゃんがいるが、
同じように、俺がある日突然アヒル口になったとしたら、「アヒル口になったね〜」とニヤニヤ近寄ってくるだろうか。

 

否、逆の立場ならまず近寄らない。

 

何より、気味が悪い。

 

朝、おはようございます、と言われ、目を向ければ、新入社員が突然アヒル口なのだ。

 

俺なら無視するか、嘔吐するか、理由なく張り倒すか、森の香りでビチャビチャの刑をお見舞いする。

 

らちが明かないので、やはり一階の店員に聞こうと、きちんとレジに並んだ。

 

急いでいるのは自分だけではないはずだ。

 

目の前に並ぶサラリーマンも、何か重大な一刻を争う事情があって、コーラとポテチを抱えているのかもしれない。

 

その一つ前の女性も、数時間おきにチョコレートを食べなければ発作が起きる病で、その時間がきそうなのにチョコレートを切らしてしまっていて、発作を堪えながらチョコレートを抱えているのかもしれない。

 

はたから見れば、自分にしてみても同じだ。

 

急ぎ過ぎて、商品を持つことすら忘れて手ぶらで並んでいるのか、可哀想に、と同情されているかもしれない。

 

急いでいるのは自分だけではない。

 

そうして俺の番が回ってきて、同じ質問をした。

 

 

「霧吹きってありますか?」

 

「霧吹きですか?…あるかな。あー、キッチン用品とかのコーナーに。」

 

「キッチン用品のコーナーに、あるんですね?」

 

「…はい」

 

 

俺は店を出た。

 

そもそも、小声で呟いた「…あるかな。」が怪しさにまみれているし、そもそも、俺は知っている。

 

キッチン用品のコーナーには、「驚くほど綺麗にウロコがとれる」器具が異常量あるだけだ。

 

アヒル口になって上司に謝ろうか。

 

これだから人生はやめられない。

 

 

湿った夢

 

清流の音だ。

 

清らかに流れる、透明な川だ。

 

その澄んだ音に耳をあずけ、誘われるように、黒く湿った木々を、すり抜けるように歩いた。

 

斜面はないから、山ではなく林のような場所だろう。

 

足取りは軽く、いや、ほとんど浮いているようで、だけれども後ろを振り返れば、しっかりと足跡がついているのだから、確かに、地に足はついているんだろう。

 

不快さのない、涼やかな湿り気が漂いながらも、霧のようなもので視界は良くない。

 

踏みしめる足元で、落ちた枝がぽき、ぽき、と音を立てるのが面白かった。

 

ぽき、ぽき、と口に出してみて、しばらく笑った。

 

清流の音が近くなっていた。

 

川があれば、まず顔を洗おう。

 

そして、水を飲もう。

 

きっと美味しいはずだ。

 

そういえば、喉が渇いている。

 

突然、目の前に雄大な巨木が現れた。

 

艶々していて、けれども人を寄せ付けないような荘厳さを兼ねて、薄暗いなかに鎮座していた。

 

見上げてみても、その枝葉は霧に包まれていて、確認することができない。

 

幾重にも張った根は見るからに屈強そうで、その巨体を支えてきた勇ましさと年月を物語っている。

 

清流の音が一層大きくなっていた。

 

この巨木の裏に、川があるんだ。

 

回り込もうと巨木の周囲を歩いたが、いつまで歩いても、その裏には辿り着けなかった。

 

しばらく巨木を沿って歩いたが、相変わらず足元ではぽき、ぽき、と枝が折れ、その度に少しだけ笑って、喉の渇きを思い出した。

 

足元には太い根が四方に張っている。

 

清流の音はすぐ近くで鳴っているのに、目の前の巨木が邪魔をしている。

 

急に、無性に、腹がたってきた。

 

突発性の怒りは沸々と沸き上がり、足元で折れる枝にさえ怒髪を向け、そもそもの悪はこいつじゃないかと、立ちはだかる巨木を睨みつけた。

 

人も殴ったことがないのに、巨木をなぎ払うように右腕を振った。

 

腕が幹に衝突すると、拍子抜けするほど、するりとその巨体は身を翻した。

 

気がつけば、目の前には何もなく、文字通り、巨木はおろか、川も、湿った木も、何もなくなっていた。

 

振り返ってみれば、踏み鳴らした枝も、足跡も、そもそも林が、空間が消失していた。

 

虚空を眺める、とはよく言ったもので、この状況の場合、視界には虚空しかないのだから、それも仕方ないよなあと、別次元で虚空を眺める誰かに少しだけ同情して、虚空を眺めた。

 

立ちはだかっていたのは象徴だった。

 

最初から木なんて生えてない。

 

地面に張っていたのは自分の意地だった。

 

見上げても木の頂上が見えなかったのは、自分の将来の不透明さだった。

 

そして、巨木は自分自身だった。

 

立派に見せていても、見せかけでしかない。

 

自分探しの旅だろうか、でも、自分を探している自分が本当の自分なら、探しに行っているのは、何なのだろうか。

 

行ったことも見たこともない場所に、違う自分が待っているのだろうか。

 

そこに自分がいるとして、じゃあ、探しに行くのは、自分は一体誰なんだろう。

 

今の自分は、自分じゃないんだろうか。

 

目の前に巨木が現れた。

 

それを右腕ではらう。

 

後に残ったのは、古ぼけたブラウン管テレビだった。

 

ブラウン管の画面にはいわゆる、砂嵐が流れて、絶え間ないスノーノイズが聞こえた。

 

清流だと思っていた、ざーざーという音は、なるほど、その正体は、スノーノイズだった。

 

川の音と、確かに、似ているよなぁと、自嘲して、ポツンと置かれたブラウン管テレビは、昔、祖母の部屋に置いてあったものだと気付いた。

 

なんだ、と拍子抜けして、おばあちゃんだったんだと、懐かしい気持ちになった。

 

林の中を歩いたことが遠い昔のことのように思え、自分の勘違いがいやに可笑しくて、その場で砂嵐を眺めながら、一人で笑った。

 

いつまでも、一人で笑っていた。

 

 

 

夜を越えて 4/6

 

 


桜が綺麗だった。

 

毎年、この季節になれば目にしていたはずなのに、意識するより先に足を止めるほど、目を奪われた。

 

忙殺される日々から抜け出した四月の初頭、沿道に植えられたソメイヨシノは満開だった。

 

白桃の綿飴みたいなその一木も、近くに寄れば、一輪一輪が表情を変えていることに気がつく。

 

アスファルトを這う花びらも、たったの一枚であれば目に留まることすらないのに、目で見える風のように渦を巻く。

 

そう都合よくいかないものだと、若干の落胆をぶら下げて、しばらく立ち止まっていた。

 

 

何の前触れもない平日の夜、たしか、時計の針が頂上を越えた頃。

 

別れを切り出したのは突然だった。

 

彼女も驚いていたけど、それ以上に自分が驚いていた。

 

あまりの忙しさに頭のネジが緩んだのかと疑うほど、我ながら唐突なことだった。

 

電話越しに、どうして、なんで、と、矢継ぎ早に疑問を投げつけてくる彼女に、ただ、ごめん、としか返すことができなかった。

 

理由らしい理由がほしくて、他に好きな人ができた、とも苦しい嘘をついた。

 

不意に、なんでもない会話を思い出していた。

 

「もしも魔法が使えたら、どうする?」

 

「孤立したくないから使わない」

 

「なにそれ。そんなのおもしろくないよ」

 

「じゃあどうするの?」

 

「空を飛びたいな。そうしたら、飛んで会いに行けるから」

 

「まさに文字通りだね」

 

「だって遠いもん。新幹線も高いし」

 

「自分で空を飛ぶよりは早いと思うけどね」

 

「飛んでまで会いに来る彼女って可愛いと思わない?」

 

「ちょっと怖いかな」

 

「大事なのは気持ちだよ」

 

今ではその距離を、救いに感じてしまう。

 

彼女の泣き顔を目前にすればきっと、僕の決意は揺らいでしまう。

 

どうしようもないことって、あると思う。

 

恋愛は理屈じゃないけど、感情で解決できないことも、あると思う。

 

空は飛べないし、気持ちも変えられない。

 

でも、選択することはできる。

 

それが正しいのかはわからないし、口走ったそばから間違っているんじゃないかとも思う。

 

二人の自分がいた。

 

一人は、なんて事を言っているんだと、叱責する自分。

 

ごもっともだ。なんて事を言っているだ。

 

もう一人は、これでよかったんだと、座り込む自分。

 

これでよかったんだと、言い聞かせるしかない。

 

もう好きじゃなくなったの?

 

その質問には尚更答えることができず、ただ、ごめん、と返した。

 

 

地面がぶくぶくと泡を立てて、両足からゆっくりと、ぬるい何かに飲み込まれていく感覚だ。

 

その原因も、這い上がる為の手段も、右手がしっかり握っているんだけれど。

 

これで、いいんだ。

 

一方的に電話を切り、煙草に火をつけた。

 

心にぽっかり穴が開く、とはよく言ったもので、肺に穴でも開いているんじゃないかと、煙も、酸素も、漏れ出すようだった。

 

もしも魔法が使えるなら、この穴を塞ぎたい。

 

不安と後悔と、疲労のような達成感は虚しさを孕んでいて、息苦しくなる。

 

もう会えなくてもいい。

 

どこかで元気で、過ごしてくれたらいい。

 

この夜を越えたらきっと、それが正しい未来だ。

 

本気でそう思っているんだろうか、そう思い込みたいだけなんだろうか。

 

自分が手を離したくせに、その手を下ろせずにまだ、心に開いた穴の淵で、立ち尽くしている。

 

時折思い出したように煙草を吸っては深く吐いた。

 

いつの間にか時計の針は首をもたげて、空が明るんでいた。

 

いっそのこと、立ち直れないほどに叩き潰してくれればいい。

 

例えば、一年の間に起こる不幸の数が決まっているとすれば、短いスパンに連続して振ってくれた方がいい。

 

蝉が命を謳歌する七日間のように、一年の不幸を清算する一ヶ月間があってもいいだろう。

 

本厄年があるなら、本厄月があってもいいだろう。

 

それが五月であるのなら、それを五月病と呼べばいい。

 

何の確率論でもない、幸、不幸の採択は、睡夢を書き起こした散文のように掴みどころがない。

 

幸せは自分で掴むもの、というのは確かに正しいと思う。

 

結果としての幸せは、自分が下した判断と選択の産物であることに間違いない。

 

美味しいものを食べることが幸せなら、美味しいものを選択して食べればいい。

 

意図しない方向からの幸せにしてもそうだ。

 

例えば、「アイスキャンディーを買ったら、ハワイ旅行チケットが当たって、恋人とかけがえのない思い出を作ることができた」。

 

当たりくじを選んだのも、ハワイに行くことを決めたのも、そもそも恋人がいることも、自分が選択した結果だ。

 

必ず努力に起因するわけじゃない。

 

この道を歩いて帰ること、コンビニに立ち寄ること、牛丼屋でごちそうさまと声をかけること、すべての選択が未来を紡ぐ。

 

もちろん、何もしない、という選択も。

 

その上で、よいこと、が連続して起こったときには、得てして不安になる。

 

何寸か先の闇には、逆張りの不幸が待ち構えている。

 

何かを持ってないことよりも、何かを失うことの方が怖いんだ。

 

反面、わるいこと、が重なったときには、どこか安堵している一面がある。

 

つらい宿題を先に済ませた生徒には、無償の夏休みが待っているものだ。

 

一番厄介なのは、よいことが半端に起こることだ。

 

気分はゆっくりと切り替えるべきであって、冴えないときは、とことん冴えないでいたい。

 

深く沈もうとしているときに、無為に、無理やりに引き上げられたくない。

 

深海でしか見れない景色もあるのだ。

 

真っ暗で何も見えないかもしれないけど。

 

人生が航海なら、頻繁な浮き沈みはきっと酔ってしまう。

 

沈むときは、沈んでいればいい。

 

盲目の世界を、素敵だと愛してみたい。

 

それでいいんだ。

 

底に穴の空いた船が、ゆっくりと沈んでいく。

 

泳げなくてもいい。

 

それでもいい。

 

それでも、仕方がないんだ。

 

もう好きじゃなくなったの?

 

首を振って、答えたい。

 

溺れるほどに、好きだよ。

 

 

「however」と描かれた錆びたプレートが、朝日が眩しい海面にぷかぷかと浮かんでいる。

 

そう都合よくいかないものだ。

 

夜明けと共に、救いようのない雨でも降ってくれたらいいのに、清々するほどの快晴だ。

 

でも、こんなときだからといって、ミュージックプレイヤーが気の利いた選曲をしてくれるわけではない。

 

呑気な歌声が可笑しい。

 

自分の感情ひとつで、世界が色を変えることはない。

 

でも、その逆はあるのだから、なんだか狡い。

 

そう都合よく、悪いことは続かないから、嫌になるんだ。

 

ソメイヨシノを見上げた。

 

息をのんで、眺めた。

 

よいこと、かはわからない。

 

それでも、綺麗だと思った。

 

 4/6

 

今週のお題「もしも魔法が使えたら」

 

ろくでもないこと

 

 

「人生は煙草みたいなもんだ。最期はみんな灰になる。」

 

宮沢は火をつけたばかりの煙草をゆらゆらと揺らして言った。

 

「それなら別に、ビールだっていいじゃないか。飲み干せば最後には」

 

そう言って葛木はビールを一息に飲み干し、骨しか残らない、と続け、音を立ててジョッキを置いた。

 

宮沢は灰皿のふちで灰を削りながら、溜め息のように煙を吐き出した。

 

「ビールでは駄目だ。それはお前が飲むから空になるだけで、飲まなければ減ることはない。煙草は火がつけば放っておいても身を削る。」

 

皿を下げようとした店員に追加のビールを頼んだ葛木は、赤らめた頰に手をついて宮沢を眺めた。

 

「お前はわかってないな。ビールは鮮度が大事だ。炭酸が抜けてぬるくなれば不味くなる。自殺と同じだ。」

 

葛木は宮沢のジョッキに残ったビールを顎でしゃくった。

 

宮沢は言われなくてもわかってる、と表情に出しながらビールを飲み干すと、苦い顔のまま去り際の店員にジョッキを手渡した。

 

そして短くなった煙草を揉み消し、首を振って答えた。

 

「不味かろうが人生は続くんだ。楽しくないから止まるものでもない。平等に時間は流れるんだ。こうして大学生が行くような居酒屋で冴えない男が向き合うその間にも、ディズニーランドではパレード隊が行進して、路地裏のラブホテルは満室だ。」

 

宮沢は漬物を一口摘み、箸を持ったまま葛木を指す。

 

「いいか。煙草は何時だって旨いもんではない。むしろ不味いときの方が多いさ。人生にしてみたってそうだろ、いい事なんてそうあるもんじゃない。それでも、命を燃やし続けるしかないんだ。」

 

通りでこの歳になってもこんな安居酒屋で飲んでるわけだ、と葛木はおどけてみせた。

 

それには答えず宮沢は続けた。

 

「そして最後には吹けば飛ぶような灰と、吸殻という名の骨が残るだけだ。たかが数十年の人生では、世の中に大したものは残せない。福沢諭吉のように紙幣に顔が載るほどの偉業を成し遂げない限りな。」

 

ダウンタウンさんのお笑いはまさに偉業だと思うけどね。世代を超えて評価され、受け継がれる。」

 

「俺たちみたいに、たった数秒観客の笑いを誘う程度なら、旬が過ぎて、燃え尽きてしまえばお終いだ。はらりと舞う灰には誰も目もくれない。」

 

宮沢と葛木は幼稚園からの幼馴染だった。同じ小学校、中学校を経て、高校こそ別を辿ったが交友は続き、卒業と同時にお笑いのコンビを結成した。

 

アルバイトで貯めたお金を手に、五年前に上京した。

 

強烈なキャラクターや、トリッキーなギャグが求められる現代のメディアに対して、古典的とも呼べる漫才スタイルの二人は苦戦を強いられていた。

 

それでも、と葛木は言う。

 

「それでも、その瞬間は最高だ。どこの誰かも知らない他人を笑顔にできた瞬間だけは、幸福を感じれる。自分達は間違っていなかったと、世間に認められた気がする。」

 

「まあな。」

 

宮沢は息を吐くように笑うと、運ばれたビールに口をつけた。

 

普段は意見が全く合わない二人だったが、ひとたびお笑いのこととなれば別だった。

 

流行り廃りでなく、お互いが一貫して信じるそのスタイルは、決して大衆受けのいいものではなかった。

 

二人はキャッチーさや、ただテレビ映えするという理由だけの一過性の笑いを嫌った。

 

そしてテレビ関係者やオーディションの審査員には、分かりやすいギャグや動きを取り入れなさいと、幾度となくアドバイスを模した皮肉を言われている。

 

それでも二人は意に介すことなく、感情的な葛木は時に批評家に噛み付きさえした。

 

クライアントに歯向かう、言わば芸人生命の危機とも言える行動だ。

 

しかし宮沢はというとそれを咎めることもせず、その空気の中でまるで漫才の延長のように葛木にツッコミを入れる。

 

葛木もそれをわかってか、突拍子もなくボケることが多々あった。

 

ーーさっきから偉そうなことばっかり並べてるけど、よくよく考えたらあんたら何様だよ。

 

ーーいや審査員だよ、批評していただいてるんだよ。

 

ーーお批評さん?

 

ーーお師匠さんみたいに言うな。

 

ーーだいたい動きを入れろとか何とか言うけどな、芸人みんなそれしてたらもうエグザイルでしょ。

 

ーーそういう動きを入れろとは言われてませんけどね。もうダンスユニットですね。

 

それは紛れもなく、家族以上の距離感で過ごしてきた二人の過去があり、お互いのバックボーンを理解した間柄だからこそ成し得るものだった。

 

しばらくの沈黙のあと、ところで、と葛木は切り出した。

 

「さっきの話だけど、同じ紙巻なら、俺はマリファナがいい。するとどうだ、吸えば最後、みんなハイになる。」

 

「人生を説く比喩にマリファナなんて論外だ。」

 

「それを言うなら二十年前のお前の母親に聞かせてみたいね。息子さんは二十年後、安居酒屋で煙草を吸いながら、人生ってのは、なんて語り出しますよってな。」

 

「ついでに二十年前の俺にも伝えておいてくれ。葛木くんとは関わらない方が身のためだ、と。」

 

「それはいい。そうすれば葛木くんも、この歳になってまでこんな安居酒屋で胡散臭い男の人生講座を聞かなくて済むからな。」

 

少し間を置いて、次の煙草に火をつけながら宮沢はトーンを落として言った。

 

「芸人なんてなるもんじゃない。満員電車に揺られながら会社勤めをするサラリーマンを尊敬するよ。よっぽど賢い。」

 

顔を覗き込むようにしたあと葛木は、宮沢の煙草を一本抜き取った。

 

「本当にそう思うなら、最初から上京なんてしてないだろ。確かになるもんじゃない。でも芸人は、最高なんだよ。」

 

ライターを手渡しながら、まあな、と宮沢は笑った。

 

 

1グラムと空中分解 2/10 15:00

 


一万円を無くした。


それは決して、新宿の居酒屋でぼったくられたとか、パチンコで負けたであるとか、はたまたヤフオクで使い物にならないものを一万円で落札したわけでもない。

単に、一万円札を紛失しただけだ。

仕事の関係で二万円の立替が必要になることがあり、入金されて間もない給料をATMから引き出し、封筒に入れて用意していた。

そして現場に向かうと実際には一万円しか必要ないことがわかったので、その場で一枚抜いてポケットに収めた。

そして、無くした。

おれはスプーンを曲げることは出来ないし、相手が選んだトランプのカードを当てることも出来ない。

マジシャンではないおれが一万円札を消すことが出来るとすれば、不特定多数の人が行き交う職場で落とす以外に手はない。

財布も鍵も携帯も煙草も無くすことがないおれが、一万円札を落とした。

一万円札は1000枚で約1000gらしい。

一枚あたり約1gだ。

時給1000円で10時間働けば、一万円になる。

10時間の労働がたったの1グラムと、等価値なのだ。

そう考えれば、電子マネーの類は恐ろしいものだ。

実体を持たない情報に変化したそれを、大した理解もないまま受け入れている。

自動発券機でSuicaに千円チャージするたび、不安に思う。

「チャージが、完了しました。」

ほんとに?と、思う。

そして自動改札機にタッチしたとき、残高に反映されていることを確認して、ほっとする。

それが真実かどうか確認する術を、おれはもっていない。

おれはマジシャンじゃないから。

考えたって仕方がないので、喫煙所に向かった。

煙草一本、これも約1グラム。

『スモーク』という映画で、印象的なワンシーンがある。

映画の冒頭で、舞台となるタバコ屋の常連客が得意気に話し始めるのだ。

「煙の重さを計る方法があるんだぜ」

それはつまり、まず吸う前の煙草を秤に載せて重さを量る。

そして燃え尽きて灰になった煙草をまた秤に載せ、吸う前の重さと差し引けばいいと、言う。

なるほど、と思いながらも、なんだそれは、とも思う話だ。

薄くなるノートパソコンは、本当にノートみたいに取り回しが易くなった。

厚着しなくても、ヒートテックを着れば暖かい。

辞書も長編小説も週刊誌も、電子書籍の登場で只の情報容量と化した。

世の中から、重さが減っていく。

世の中が、軽くなっていく。

重力に逆らい、空を飛べる日もそう遠くないのかもしれない。

“薄い!軽い!”

そんな謳い文句が世の中を飛び回る。

そのまま煙草の煙みたいにぷかぷか浮かんで、壁を黄ばませるヤニのように、世界丸ごと、みんな全部、空に染み込んでいく。

誰もいない商店街、点滅するネオン、空っぽの高層ビル。

ポケットから落ちた一万円札が、空をゆらゆらと舞う。

ひらひらと、ゆっくりと、1グラムが舞う。

2/10 15:00

忘却と怠惰 1/27 5:00

 

 

やらないといけない事が無いわけじゃないけど、それはなんとなく、今じゃないと思えた。

かと言って、他にやることがあるわけでもない。

確かに今、少しでも空いた時間に済ましておけば後々楽になるタスクもある。

でもなんとなく、今じゃないと思えた。

布団に転がり、取り込まれた洗濯物の山を眺める。

洗濯するということは、着たということだ。

着たということは、畳まれたそれを広げたということだ。

どうせ着るなら、畳まなくても同じではないか。

これは、今することじゃない。

洗濯物の手前、積み上げられたCDにピントを合わせる。

部屋にいるときは、必ず何かしらの音楽を聴く。

その時の気分、買ったばかりのもの、単なるBGMとして。

CDを聴くということは、棚から出すということだ。

どうせ聴くなら、収めなくても同じではないか。

これも、今することじゃない。

積まれたCDから少し右に、しおりがはみ出た単行本がある。

仕事で必要になる情報収集の為に、読んでおかなければ。

でも、ページを捲っても、頭に入ってなければ意味がない。

今読んだとしても、それは文字の羅列を目で追うだけだ。

今、読むべきではない。

単行本から目線を上げ、天井を眺める。

そういえば、お腹がすいたな。

直近の食事から数時間が経っている、当然空腹も感じるはずだ。

でもどうせ明日になれば、朝飯なり昼飯なりを食べることになる。

そのとき満腹になるなら、今食べなくても同じだ。

眠気はない。

でもなんとなく、目を閉じた。

彼女との記念日に無頓着で、怒られたことがあった。

付き合い始めの頃は、意識せずとも気付いていた。

それでも何ヶ月かすれば、慣れなのか、その日が記念日だと自覚し辛くなった。

スマートフォンが知らせる無機質なアラームに助けられていた。

今日は、1月27日。

あいつが死んでから、二ヶ月が経つ。

恋人との記念日にしてもそうだ、毎月の○日に特別な意味はない。

一年単位での○月○日を迎えてこそ、記念日だと思う。

だから今日が二ヶ月目の27日だとしても、そこに意味はない。

でも、無頓着だった記念日のように、そいつが死んだことさえも忘れてしまうことが怖い。

何年後かの同窓会で、「そういえば」と初めて思い出すようなことは、最悪だ。

目を開け、眩しい室内灯に瞳孔が動く。

単行本、CD、洗濯物の奥、あいつの名前が印刷された紙が壁に立て掛けられている。

二ヶ月前の葬儀の帰り、電柱などに貼られる“○○家”の案内を警備員から貰ったのだ。

A4より一回り大きい厚紙に、筆文字で名字が書かれている。

こんなものが部屋に置いてあれば、嫌でも思い出してしまう。

いかんせん、主張が激しい。

もちろんこれが、宗教的に正しいのかは知らない。

でもあいつなら、笑ってくれそうな気がする。

「お前まじ馬鹿じゃの。わろた」

布団から起き上がり、洗濯物を畳み、CDを棚に収めた。

冷凍された米をレンジに入れ、ケトルで湯を沸かした。

そして片付いた部屋を眺めて、単行本をちらりと見る。

これはやっぱり、今じゃない。

1/27 5:00

ロストタイムと相対性理論 1/20 22:34

 

 

「なるほどな。」

 

「どうしたんですか?」

 

「“E=mc^2”だ。」

 

「なんですかそれは。」

 

アインシュタインの式だ。
 相対性理論って知ってるか」

 

「詳しくは知りません」

 

「E=mc^2、Eはエネルギー、mが重さ、cが光の速度だ。」

 

「なるほどですね」

 

「光の速度は定数だから、Eとm、つまりエネルギーと重さは比例する。」

 

「はい」

 

「そこの太った男を見てみろ」

 

「ふくよかです」

 

「うう…。エネルギーが大きいな。」

 

「なんですかそれは」

 

「さっきも言った通り、エネルギーと重さは比例する。」

 

「はい。」

 

「つまりあの太った男は多くのエネルギーを持っている。うう…。」

 

「ふくよかなエネルギーですね!うう!」

 

「あの若い女を見ろ」

 

「マフラーを巻いています。」

 

「あれは恐らくBURBERRYだな」

 

「お目が高い。」

 

「そして、あの腕時計はOMEGAだ」

 

「OMEGA高い。」

 

「この女は、そうだな、間違い。」

 

「なんですか」

 

「この女、相対性理論してやがる」

 

「本当ですか!?」

 

「まずあのバーバリーチェック、そこから理論は始まっている。」

 

「そうは見えませんが」

 

「始まっているんだ。そう見えるんだ。いや、そう見るんだ。始めるんだ。お前が」

 

「だんだん始まってきました」

 

「始まりがない者に終わりはない。
 終わりがない者に相対性理論はない。
 故に、始まりがない者に相対性理論はないんだ。」

 

「なるほどですね。」

 

「ウッ…!」

 

「大丈夫ですか!?」

 

「あの太った男、一刻も早く痩せた方がいい…」

 

「ダイエットですか!?」

 

「心配ない。それにしてもあの男、完全に比例してやがる。」

 

「E=mc^2ですね!?」

 

「場所を移そう。ウッ…!?!?」

 

「どうしたんですか!?」

 

「あ、あの爺を見ろッ…!!」

 

「あの爺ってどれ…あッ…!!」

 

「うう…ッ。あれは爺ではない…Gだッ…!!」

 

「Gさんが!おGさんの耳が!」

 

「ああそうだ…。完全にイヤホンが量子力学を度外視してやがる…。」

 

「イヤホンが!おGさんの耳にイヤホンが入り込んでいます!」

 

「イヤホンのコードは通常、耳から下に垂れ下がるものだ…。

 しかしGの耳からは、横に、地面と水平にコードが延びている…。」

 

「普通イヤホンは耳に“掛ける”といった表現に近いですが、
 あのおGさんの場合、耳に“突き刺さっている”ように見えます。」

 

「あのGはやすやすと、俺たちの目の前で相対性理論を否定してやがる…。」

 

「!?!?」

 

「有り得ない…。イヤホンが丸々、耳に入り込むなんて有り得ない…。」

 

「でもっ!!でもッ!!」

 

「イヤホンを付ける時にわざわざ説明書を読む奴はいないだろう。
 それはイヤホンを差す向きが誰にでもわかるからだ。」

 

「それはそうですが…」

 

「イヤホンを垂直に差す人間はいない。
 いや言い方を変えよう。
 イヤホンを垂直に“差し込むことができる”人間は、いないからだ。」

 

「ッ!?!?」

 

「人間の耳の穴なんてしれている。
 “これ以上のサイズは需要がない”と仮定されて商品は作られる。
 光の速度を超えることが不可能であるように、50cmの靴は不必要なんだ。」

 

「それはそうですが…」

 

「しかしあのGさんは、我々の目の前で光の速度を超えて見せた。
 “入るはずがない”イヤホンを、突き刺して見せたんだ。」

 

「そんな!」

 

アインシュタインは誤った…。
 Gさんは、光の速度を超える…。」

 

「ウッ…!?!?とんでもない重力だ…」

 

「我々の前に突如として現れたG…。
 Gの参上、か…。いや待てよ…。」

 

「どうしたんですか」

 

「E=mc^2ではないんだ。
 E=G^3!
 エネルギーは、Gの三乗!
 爺の参上だ!!!」

 

相対性理論が!!相対性理論が!!」

 

 

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優先席の前のつり革を握りながら、車内を眺めた。

 

ドア横にもたれる太った男。

 

高価そうな装飾品を身に纏った若い女は、つり革に掴まらずスマホを操作している。

 

そして眼下の優先席には、垂直にイヤホンが刺さった老人が目を瞑っている。

 

会社を出てから聴き始めたONE OK ROCKの最新アルバムは、気がつくと二曲目が始まったところだった。

 

退社してから数十分、それはアルバムがいつの間にか一周していることを物語った。

 

何かに集中しているとき、時間の流れはなるほど早く感じるものだ。

 

午前からパソコンを前に、気がつくと日が暮れ、21時を回っていた。

 

帰りの電車内、物思いに耽っていると、鼓膜を振動させる音楽でさえ思考の邪魔をしない。

 

気がつけば、上京してもうすぐ一年が経つ。

 

途方もなく長く、5年先を考えれば気が遠くなるように感じていた。

 

しかし振り返ってみれば、素っ気く、呆気なくも思う。

 

時間の流れは、本当に平等なんだろうか。

 

光の速度は本当に、一定なんだろうか。

 

あの男を“太っている”と思うのは、とんでもない速度で移動して縦に縮んで見えているだけなんじゃないか。

 

動いているのは電車じゃなく、外の世界なんじゃないか。

 

世間が回っているだけで、俺は動いてないんじゃないか。

 

俺が一年を過ごしたんじゃなく、時間が俺を消化したんじゃないか。

 

まったく野田洋次郎みたいなことを言う。

 

主体はいつだって俺だ。

 

アイムシュタイン、アインシュタイン

 

そしてふと、相対性理論を思い出すのだった。

 

1/20 22:34