東京 closing down

現実とフィクションと音楽。始まりのエンドロール。 Photo by shun nishimu

7.足首 12/1 16:40

 

 

 

畳の匂い。

 

祖父母の匂いだ。

 

マッチをおこし、半分に折った線香を灯す。

ゆらゆらと昇る懐かしい薫りを目で追えば、経年を感じさせる些か黄ばんだ壁に祖母と祖父の遺影が並んでいた。


父方の祖父母は、自分の出生と同時に建てたという団地の一軒家で一緒に暮らしていた。

 

口うるさくて氷川きよしが大好きなおばあちゃんと、学校から帰るといつも野球の練習に付き合ってくれた厳しくも優しいおじいちゃん。

 

加えて、父と母と兄と自分、当時六人が暮らしていた一軒家は、2016年11月、ひどく静かだった。

 

 

 

祖母は中学二年生の九月に亡くなった。

 

照りつける太陽に残暑を恨めしく感じた土曜日の昼過ぎ、所属する野球チームの練習中に、「国貞、ちょっと来い」と厳しい事で評判のコーチから呼び出しを受けた。

 

小学生の頃から始めた野球もいつからか、センスと呼べるようなものは持ち合わせていなかったことに気が付き、他人を凌ぐ程の努力もしなかったことも相まって、ポジションは補欠、練習中でもしばしばエラーをし、くだんのコーチにはこっ酷く怒られていた。

 

そんな背景があるから、また何かミスでもしたかと走ってコーチの前で姿勢を正せば、救いようの無い一言を浴びせられた。

 

 

「お前はもう帰れ。」

 

 

例えば、「やる気あるのか」だとか「練習から外れてグラウンドを走っていろ」と言われるのなら茶飯事だったが、「帰れ」と言われたのは初めての経験だった。

 

これは相当まずいミスを気が付かず犯していたのだと「やらせてください」と声を張り、中学生なりの誠意を示した。

 

急に帰れと言われても自宅から車で三十分以上かかる練習場から歩くのはグラウンドの走りこみよりも酷であるし、迎えを呼ぶにも叱られて帰らされたと説明するのはあまりに情けなく、何よりそんな息子を持った両親が不憫だ。

 

 

「やらせてください」

 

 

「いや、おばあちゃんが危ないみたいだ。すぐに帰れ。」

 

 

コーチの後方のフェンス越しに、母親の運転する白の乗用車が到着するのが見えた。

 

 

広島市口田に祖母の入院する病院はあった。

 

母親に連れられ学生服姿の兄と病室へ急げば、会社を抜けてきたのであろうスーツ姿の父と、入院時から付きっきりだった祖父、叔母にあたる父の妹夫妻がベッドに眠る祖母を囲んでいた。

 

おお、とこちらに気が付き、いつものように軽く頭を叩いてくる父の笑顔はどこか寂しさと、”人の死”をおぼろげに感じさせるものだった。

 

話によれば、昨夜遅くに容態が急変し、いつ最期を迎えてもおかしくない状態であったらしい。

 

それでもこうして身内が集まるまで何とか持ちこたえ、相変わらずばあさんは賑やかなのが好きらしいと、祖父は温かく笑った。

 

真っ白で清潔感のある病室に泥のついた練習着で佇んでいることに若干の居心地の悪さを感じながらも、父に促されるまま祖母の手を握った。

 

ふくよかで歩くのも窮屈そうだった祖母の手は、驚くほど細かった。

 

よく食べ、よく眠る、そんな祖母の面影は、枯れそうな手指には感じることができなかった。

 

「おばあちゃん」と一言発したきり、喉の奥から漏れそうな何かを堪えることに精一杯で、口を開くことが出来なかった。

 

その数分後、祖母は息をひきとった。

 


 

八年の年月は、確かに目の当たりにした筈の光景でさえ、現実味の欠けたフィルム映画のように風化させる。

 

物が片付けられた和室を見渡す。

 

折り畳まれた介護用ベッド、ほこりを被ったプラズマテレビ、壁に立て掛けられた丸い机。

 

父が時折挿し替える花の供えられた仏壇に目を移す。

 

祖母にとって、自分はどんな孫であったのだろうか。

 

野球の練習がある朝には「ヒットヒットホームラン」と氷川きよしの歌に乗せ送り出してくれていた祖母の目に、自分はどう写っていたのだろうか。

 

自慢の孫で、あれただろうか。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 



高橋を殺しに行こう。

 

 

11月27日の日曜24時過ぎ、おれは決意した。

 

もはやこれは、高橋を殺すしかない。

 

あいつも、いきなりおれが広島に帰ってくるとは思ってないだろう。

 

それにしても、タチが悪い。

 

決意を固めるその一時間前、カップラーメンを啜っているタイミングで届いた一通のメッセージ。

 

普段連絡を取り合うような仲でもない中学の同級生、意外な人物からの一言は、おれを戸惑わせ、動かすだけの充分なインパクトを持っていた。

 

 

 

" 高橋が亡くなったらしい。"

 

 

 

こんなにもわかりやすくて、こんなにもわかりにくい文章はないなと、漠然と思った。

 

ああ、高橋か。

 

確か前に会ったのは盆明けに帰省した時だったかな。

 

上京する前から、同郷の友人である吉永と高橋とは、特に目的もなくコンビニに集まっては、だらだらと時間を過ごすことが多かった。

 

中学の頃からの仲で、いわば、親友だ。

 

特別なことはしなくていい、ファミレスやドライブやコンビニ、一緒にいるだけで楽しい、気の合うやつら。

 

高橋、吉永、国貞のグループラインでは、「はらへった」や「煙草吸おうや」などと理由をこじつけては「30分後に八木セブンね」と二つ返事で集合が決定していた。

 

高卒で就職した高橋の職場の愚痴、趣味である車やバイクの話、吉永の恋愛事情や夜遊びで親に怒られたエピソードのいじり、おれの童貞卒業報告もこいつらが最初だったし、怠惰な学生生活状況、中学校時代の思い出は飽きもせず何回も繰り返し話して、地元に中指を立てて、無事故無違反を謳いながらむちゃくちゃな運転をする高橋を、吉永と一緒に笑った。

 

ああ、その高橋が亡くなったのか。

 

わからない。

 

いや、頭ではきっと理解はしている。

 

”高橋”が、”亡くなったらしい”、それだけのことで、こんなにわかりやすい文章はない。

 

それにしても、なんというか。

 

タチが悪い。

 

 

これがもし高橋を中心とした地元ぐるみのドッキリだったとしたら、そのときは高橋を殺すしかない。

 

わかった、吉永と結託して、高橋を殺そう。

 

お前ふざけんなよと、いつものセブンイレブンで煙草を吸いながら、まじうけるわと笑う高橋を、吉永と殺すしかない。

 

 

高橋を殺しに行こう。

 

 

そうなれば、まず吉永に連絡を取らないといけない。

 

時刻は24時を回っていた。

 

”高橋が亡くなったらしい”というタチの悪いメッセージを受け取ってから、一時間近く経過していた。

 

何を一時間もぼうっとしているんだ、早く高橋を殺しに行く段取りを決めるために吉永に連絡を取らなければ。

 

数回コール音が鳴ったところで吉永が応答した。

 

「もしもし、今大丈夫?」

 

「おん、どしたん」

 

「あんねぇ」

 

「おん」

 

「あのー、高橋がねぇ」

 

「うん」

 

「あのー、高橋が」

 

「高橋がどしたんや」

 

「あんねぇー、高橋が」

 

「なんや」

 

「そう」

 

「うん」

 

「高橋が、亡くなったらしい」

 

 

何をもたもたしているんだ。

 

さっさと吉永にこの壮大でタチの悪いドッキリを伝えて、高橋を殺しに行く計画を立てないといけないのに。

 

なに涙なんか流しているんだ。

 

 

「…」

 

 

不思議なもので、「高橋が亡くなった」と自分の口から発音した途端、それが急激に現実味を帯びてきて、それがとんでもない事実なんじゃないかって、喉が震えた。

 

こんなドッキリあるわけないだろと冷静に処理している自分に気付かぬふりして、高橋ふざけんなよと笑って突っ込む。

 

本来なら吉永に、「おい高橋が死んだとか言っとんじゃけど」って笑って、何なら若干キレ気味で伝えるつもりだったのに、口からそれを発する直前に、なんというか、現象だけ文字に起こすと、涙が出た。

 

これは困った。

 

俺は記憶に無いくらい、最後に泣いたのはいつだろうか、と思うくらい、涙を流していなかったのに。

 

涙を流せないほど、俺は東京という大都会の大海原に揉まれ流され、感情を失ってしまった血の通わないアンドロイドと化してしまったのか。

 

いや、そういえばこの前観たドラえもんの映画で結構な号泣をした。

 

しかもつい最近には彼女に別れを告げた際にも泣いていた。 

 

結構泣いているじゃないか。

 

まぁ、涙っていうのは、目的でも手段でもなくて、あくまで副産物的なものだ。

 

涙を流していないから感動してないわけでもないし、涙を流していないから悔しくないわけじゃない。

 

であるならば、逆説的に言えば、副産物である涙が流れるということは、その根源的な感情があるはずだ。

 

 

感動か、悔しいのか、悲しいのか。

 

悲しいんだとしたら、それは何故か。

 

 

“高橋が亡くなったらしい”から。

 

 

まったく。

 

まったく、タチが悪い。

 

 

思考が正常に回っていないことにはとっくに気づいていた。

 

冷静に俯瞰したおれ(闇遊戯的な)の言葉を借りれば、「現実から目をそらそうと必死」らしい。

 

何はともあれ、早く広島に帰って、吉永を誘って、今から一緒に、これから一緒に、殴りに行こうか。

 

ラーメンはとっくに、伸びきっていた。

 

 

 

 

話によれば、バイク事故らしい。

 

高橋は20時に仕事を終えたらしく、おれが訃報を受けとったのが23時過ぎだったから、その間のことだろう。

 

もっとも、おれを無理矢理東京から引き戻す壮大なドッキリでなければの話だ。

 

夜分遅くの失礼を承知の上、勤め先に数日間お休みをいただきたい旨を伝えて、小田急線と新幹線の始発の時刻を調べた。

 

全く機能していない夜中の交通機関に苛立ちを覚えながら、眠気なんて微塵もない覚醒し続ける頭をかき回した。

 

なんせ、こういった事態に直面したとき、どう行動するのが正解なのかなんて、学校では習っていない。

 

「皆さん、親しい友人が亡くなった際には、直ぐに帰省しましょう。」

 

なんて道徳の時間にも教わった覚えはない。

 

 

とりあえず、高橋と交友のあった友人知人に連絡をとった。

 

その都度、“亡くなったらしい”と不確定で信憑性の乏しい情報を伝え続けた。

 

そのうち、ああ本当にアイツは死んだのか、と、真実に麻痺していく自分に腹が立った。

 

 

 

特にすべきことも見つからず、始発まで余裕の有り余る時間に家を出て、最寄りの松屋に向かった。

 

松屋はいつ訪ねても只の牛丼屋で、食券と引き換えに提供されたプレミアム牛めしも只の牛丼だった。

 

みそ汁は熱いし、紅生姜は旨いし、こんなときでも松屋はどこまでも松屋だった。

 

 

電車を乗り継いで東京駅に向かい、口座から家賃を切り崩して切符を買い、全く眠気の無い片道四時間を過ごした。

 

 

広島に到着し、高橋は病院から実家に戻ってきているとの連絡を受けた。

 

自宅を訪ねる承諾を得て、母親の車を拝借して、懐かしい道をたどり走った。

 

 

思い返せば、小学生の頃から何度も高橋の自宅を訪れたことがあるが、玄関より先に上がったことはなかった。

 

 

階段を登り、右に折れた和室の引き戸を開けた。

 

 

 

なんだ、高橋、おるじゃん

 

 

なに寝とんや

 

 

次に広島帰るの年末とか言いよったのに、割とすぐ帰ってきてしまったわ

 

 

お前なんしとんや

 

 

吉永と一緒に、殴りにきたで

 

 

あ、吉永連れてくるの忘れたわ

 

 

 

膝から崩れ落ちるように、畳に顔がこすれた。

 

 

 

お前、なに寝とんや

 

 

 

だってそれはどう見ても、いつもの寝ている高橋なのだ。

 

少し揺すれば、目をこすりながらあくび混じりに「おお、たくじゃん、どしたん」と起きてきそうではないか。

 

 

 

おい、ふざけんなよ

 

 

お前、なに死んどんや

 

 

 

浴びせるはずだった罵詈雑言が、車の中で考えた冗談が、言いたかった言葉が、そもそも声が、出なかった。

 

 

まったく、タチが悪い。

 


 

 

そのあとは吉永を連れたり、高橋に会いたいという同級生と連絡をとったり、旧友と電話したり、比較的冷静に過ごした。

 

葬儀の一連は、悲しみを忙しさで紛らわす目的もあるといった話を思い出した。

 

少なからず自分もその恩恵を受けているんだなと、思った。

 

 

 

翌日はお通夜だった。

 

スーツを兄貴に借りるも、シャツとベルトと革靴がなくて、前のバイト先で後輩から革靴を借りて、シャツとベルトは紳士服店で新調して、ごたごたしながら会場に到着すると本当にたくさんの人がいた。

 

同級生はもちろん、その両親、小学校時代の野球のコーチもいたし、車仲間であろう髪の明るい人たち、会社関係者。

 

おれの高校の友達も来てくれていた。

 

高橋を紹介して一緒に遊んだ仲だった。

 

数回しか会ったことがないやつも、「友達の友達は、友達だろ」といって駆けつけてくれた。

 

おれが言うのもおかしいけど、本当にありがとうと伝えた。

 

ある同級生の言葉を借りれば“ほら吹き”だったあいつも、なんだかんだ好かれていたらしい。

 

 

 

その翌日はお葬式。

 

その日も多くの人が参列していて、例によって高校の友達も来てくれた。

 

 

でもやっぱり、こういう場が苦手だった。

 

焼香の意味なんて知らないし、そもそも宗教に興味がない。

 

浄土真宗がどうだとか、お坊さんの読経なんてワケがわからないし、相互扶助の目的かもしれんけど香典だって本来は故人への供物だろう。

 

 

生前に高橋が、「お釈迦が―」とか、「親鸞が―」とか、「阿弥陀如来が―」とか語ってたんなら、しょうがない。

 

それどころか「彼女のクリスマスプレゼントが―」とか言ってたろ。

 

 

決して、否定的な意味ではないんだけど、漠然と、宗教の自由を感じる。

 

「今ごろ天国で―」とか聞くけど、天国すらキリスト教の考えだからもうワケがわからない。がんじがらめ。

 

かといって、おれが死んだときに葬式しません!とか言い出したら嫌だけど。

 

まあなんというか、ガチガチに縛られずに、こんなときだからこそ頼ったらいい、心のより所として、くらいの位置付けで、宗教っていうのは、もっとラフな感覚でいいんじゃろうね。

 

 

 

おれは同級生の為でも、ご遺族の為でも、世間体の為でもなく、紛れもなく、高橋個人の為に出席した。

 

 

だから読経なんて聞き飛ばして、焼香なんてすっ飛ばして、棺桶覗いて、お前ふざけんなよ!って笑いたかった。

 

 

だってなあ、そんなお互いを褒め合うような仲でもないし、帰り際に家まで送り合って「また会おうね!」って言う仲でもないし、

 


死んだからって、仮に最後だったとしても、いつも通りでいたかった。

 

 いつも通り、吉永と煙草吸いながら、笑いたかった。

 

 

 

ところが変に常識を意識して、ちゃんと黙ってお坊さんの話を聞いて、皆に倣って作法の知らない焼香済ませて、棺桶覗いて悔しそうに下唇噛んで、親族に頭を下げて。

 

 

いくら高橋の為とは言っても、ご遺族の皆様の、その心中は甚だ察することなんてできないし、ご両親やご兄弟とも昔から面識があったから。

 

 

 

誠に、ご愁傷様でございます。

 

心から、お悔やみ申し上げます。 

 

 

 

それ以外の表現を、俺は知らない。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

線香の灯火はゆっくりと身を削っていた。

 

陳腐な例えをすれば、人の一生も似たようなもので、激しく輝きながらあっという間に燃え尽きるものもあれば、静かにゆっくりと最期を迎えるものもあって、その中でも高橋は元から短い線香だったんだろうと。

 

 

なんて話、あるわけがない。

 

 

確率や運命なんてものが嫌いだ。

 

そういう運命だった、なんて結果論に依存した言い訳なんて御免だ。

 

 

そんなの、浮かばれないじゃないか、あまりにも報われないじゃないか、どうしようも、ないじゃないか。

 

かといって代替案はない。

 

それでも、俺は嫌だ。

 

 

 

祖父母の部屋であったこの和室には、2012年10月から捲られていないカレンダーが掛けてあった。

 

仏壇屋のもので、筆文字でこんな言葉が書かれている。

 

 

『明日を思い煩うよりも、今を如何にすべきかが大切である。』

 

 

――大切である。

何様のつもりだ。

何をもってして、そう言い切れるのだ。

 

数ヶ前読んだときには身に染みた言葉も、今は苛立ってしょうがない。

 

すべてに腹を立てていた。

 

 

親友が亡くなった。

 

それから数日間は、引きずった。

 

高橋の死とまるで関係がないのに、自分の将来や、あらゆることがどうでもよく感じた。

 

不安を通り越して諦め、腹を立て、煙草を吸った。

 

 

かといって、普段の生活に大きな変化はなかった。

 

冷たくなった高橋を確かに目の当たりにしたはずなのに、電話したら眠たそうに出るんじゃないか、とか、ライン送ったら返ってくるんじゃないか、とか、コンビニ呼んだらすぐ来そうじゃな、とか、思う。

 

 

高橋と吉永とおれ、三人のグループラインは、今でも既読が1のままなのに、あいつが最後に送った“動くスタンプ”は妙に現実味を無くさせる。

 

何回もタップして、動かしてみると、なんだ、生きてるじゃないかって、馬鹿みたいに思う。

 

 

でも、ふとした拍子に、気づいてしまう。

 

ああ、高橋はもういないのか。

 

 

単純に、遊ぶ友達が一人減ってしまったとも思えるし、心にぽっかりと穴が空いてしまったようにも思えるし、自分でも整理ができない。

 

“悲しい”だけで形容したくない、よくわからない類の感情で、言葉で表現できないことに戸惑った。

 

 

 

ただ一つ確実なのは、二度とこんな経験はしたくない、それだけだった。

 

 

 

でも、いつでも会えるらしい。

 

浄土真宗では、死んだら天国でも地獄でもなく、お浄土に行くらしい。

 

お浄土ってのは、誰しもの心の中にあって、目を閉じて手を合わせれば、いつでも故人に会えるらしい。

 

吉永と二人で、五,六回はこの話をした。

 

まあ全部 “~らしい” 話だから恐ろしく信憑性に欠けるけど、どっちにしてもおれの心の中に高橋がおるのは気持ちが悪い。

 

高橋ふざけんなよ!

 

と、目を閉じ、手を合わせて、おれは言うらしい。

 

セントラルパーク ダコタハウス前

来世はそこで落ち合おうぜ

 

おれは真似て言うらしい。

 

あくまで、そうらしい。

 

 

 

仏壇を前に、慣れない正座に両足がしっかり痺れているのがわかった。

 

 

なにをやってるんだ、おれは。

 

 

ここ最近で何度、同じことを呟いたんだろう。

 

 

いっそ、このまま広島に残って、柴犬と暮らそうか。

 

 

でもなあ。

 

 

悔しい。

 

 

いろんな思いはあるけれど、根底にあるのはそれだけだった。

 

 

悔しい。

 

 

このまま終わってたまるか。

 

 

自分自身ですら精一杯であるのに、高橋の分まで生きれるとは思えないけど

このまま死んだとき、ご浄土で高橋に馬鹿にされてしまう。

 

 

「たく、なんしとんや」

 

 

なめられたもんだ

 

 

たとえ今がどん底だとしても、海底の砂を蹴って、トビウオのように海面を跳ねてやる。

 

 

おれは東京、大都会という大海原で、流されながらも、流木でいかだを作るんだ。

 

ボロボロのTシャツで帆を張って、がむしゃらに漕ぎ続けるのだ。

 

 

パドリング、ひたすらパドリング。

 

 

モンスター級の大波を見事にサーフィンして見せて、満を持して広島に帰るんだ。

 

 

砂浜でご主人の帰りを待っている忠犬ハチ公顔負けの柴犬を目いっぱい撫でてやる。

 

 

海底で拾った海賊船のお宝を売って、軽トラックを買うんだ。

 

 

助手席の窓を半分開けて、気持ちのよさそうに顔をのぞかせた柴犬を乗せて、凱旋パレードだ。

 

 

 

その日が来るまで、おれにはまだ出来ることがあるだろう。

 

 

がんばれ、たくろう。

 

 

痺れる右足を堪えながら、片膝を立てる。

 

 

ご浄土で高橋に罵詈雑言を浴びせる為には、こんなところでくたばるわけにはいかないだろう。

 

 

頑張ってやろうじゃないか、たくろう。

 

 

立てた右膝に手を突きながら、痺れを受け入れてゆっくりと立ち上がった。

 

 

そして、さんざん宗教の悪口を言っておきながら、手を合わせて目を瞑る。

 

 

 

なあ、高橋。

ご浄土にはセブンイレブンがあるのかい。

 

 

 

膝から崩れ落ちるように、畳に顔がこすれた。

 

 

涙は出ていない。

 

 

ただ、足がもの凄く痺れただけだ。

 

 

それだけだ。

 

 

16:40