東京 closing down

現実とフィクションと音楽。始まりのエンドロール。 Photo by shun nishimu

くるみ 7/24 23:12



ぷかぷかと浮かび、換気扇に吸われていく煙を目で追いながら、相変わらずの台所の壁にもたれるようにしゃがんで、煙草を吸っていた。

近くに置いたスマートフォンのスピーカーから、まるで胸の思いを代弁するように、歌声が聞こえてくる。



ねぇ、くるみ

この街の景色は、君の目にどう映るの

今の僕は、どう見えるの



その姿を探して居間を覗いても、電灯は抜け殻のような空間を照らすだけだった。

誰もいない時間のほうが多かったのに、たったの四日間を与えられ、奪われ、喪失感に喉を塞がれる。




そんな時はどうしたらいい?











「6日(ろくにち)にね、」と喋る彼女に


「むいかって言うんだよ」と苦笑しながら指摘すると、


「どっちでもいいじゃん」と少しふくれて見せる。



そんなやりとりを楽しみながら、


「それでね、」と続けるから、


「うん、うん。」と、左手をつなぎながら聞いてやる。






アパートに着くとポストを確認し、無造作に放られたチラシを取り出した。



「チラシお断りって、張り紙しとけばいいじゃん。」



「大事なチラシがあるかもしれないよ。」



少し錆びついた階段を登りながら後ろを振り返り、夜だから静かにねと人差し指を口元にあてると、少し笑いながら、わかった、と口の動きで伝えてきた。








これが一日目。

少しずつ、思い返す。









仕事が終わるとまっすぐに、小走りで、家に帰った。


「ただいま」


玄関のドアを開ければ、居間で寝転んで何やら紙に書き込んでいる彼女の姿があった。


「おかえりー」


手元を覗きこめば、ルーズリーフには繰り返し漢字が走り書きされていた。


「広島帰ったら漢字のテストがあるからさー」


コンビニで買ってきたのだろう、ピーチティーきのこの山をつつきながら、俺の帰りを待っていたらしい。


「お腹すいたなぁ。何食べたい?」


「たくちゃんの食べたいもの!」


彼女はいつも、そう答える。


俺はいつも、それに困る。









これが二日目。

火が消えてしまわないように、大切に煙草を吸い込む。










自宅から電車で一時間程、横浜市に位置する”みなとみらい”へ向かった。


道中、彼女のiPhoneを覗き込んではポケモンはいないかと一緒に探した。


数日前に配信された”ポケモンGO”はTwitterのライムラインを埋め尽くすほどの大盛況だった。

何となく気が進まず、彼女にダウンロードしてもらってみれば、確かに面白そうだと感じた。


このゲーム、歩かなければ進まないので、「今日はポケモンデートになるね」と笑いあった。




みなとみらい駅に到着すると、駅に隣接された商業施設を歩いた。


簡易なフードコート前の広場では、大道芸人がパントマイムを披露していた。

しばらく眺めて、観覧車に乗った。




前月彼女は誕生日だった。



遅れたけど、カバンに忍ばせておいたプレゼントを渡す。



こういう時、いつも困る。


サプライズや、ムード作りは大切なんだろうとは思うが、恥ずかしくてとてもできなかった。


観覧車でプレゼントなんて一層クサい。


「ちょっと目をつむって」なんて言っている自分を想像すると鳥肌が立つ。




結局、頂上でもない中途半端な位置で、目の前でガサゴソとカバンをあさり、「プレゼント」と渡したのだからサプライズもムードもなかったが、許してほしい。





その後は赤レンガ倉庫辺りを観光した。



夜は中華街でしきりに栗を渡そうとする中国人に辟易しながら、お腹いっぱいに中華料理を堪能した。









これが三日目。

灰皿の上でとんとんと灰を落とした。

煙草はもう、短くなっていた。








「たくちゃん起きて」

気がつけば14時だった。

本来なら12時に起きて、ポケモンを探しに行く手筈だったが、寝すぎてしまった。

「今日はゆっくりしよう」

そのままだらだらと音楽を聞きながら過ごし、夕方手前に近所にでかけた。


日曜ということもあり駅前では子供連れの夫婦や学生で賑わっていた。

皆一様にスマートフォンを手にしていることから、ポケモンGOをしていることは容易に想像できた。

マクドナルドで涼みながら、彼女のポケモン探しを見守った。



こんな時間が、ずっと続けばいいなと思った。

大したことはしなくていい。

こんな、どこにでもあるような普遍的な時間を、大切にしたいと思った。





彼女の重たい荷物を持って、一日目とは逆の道を辿った。

混みあうホームで、はぐれてしまわぬよう手を引いて電車を乗り換え、品川駅に向かった。



時間がとまればいいと思った。


何らかの影響で、新幹線が動かなくなればいいと思った。


それでも時間は平等にたゆまず、19:57、のぞみは発車した。











今晩は何食べようか。


「たくちゃんの食べたいもの!」


言うと思った。



駅前の松屋に入り、”牛めし並”の食券を購入する。



「また牛丼だ」

「紅しょうが食べ過ぎだよ」



また怒られるかな。



松屋を出て、セブンイレブンに入る。


「アイス食べる!たくちゃんは?」


メロンのアイスバーを一つと、ついでに煙草も買っておく。


「いいようちが出すよ!」



そう言っていつも財布を取り出すのが遅いんだ。


お金を支払い、店を出る。



ぽつぽつと街頭の照らす道を歩く。



「ろくにちにね」



うん、うん。


夜風で溶けたアイスが右手を伝う。


左手が握るのは、煙草だけが入ったビニール袋。





ポストからチラシを取り出す。


階段を上がりながら後ろを振り向いても、いたずらっぽく笑う彼女はいない。




玄関のドアを開けても、寝転んで漢字テストの勉強をする彼女の姿はなかった。





かばんを放り、つけっぱなしの換気扇の下で煙草に火をつける。




ねぇ、くるみ

時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば

生きることは、実に容易い





別れ際、駅のホームで泣き言を言う彼女を慰めた。

またすぐ会える。






換気扇の音だけが虚しく響く部屋の隅で、感情が喉からせり上がる感覚に驚いた。



一番こたえてるのは俺じゃないかと、煙を吐き出しながら、自嘲する。



よく耳にする、”こんなに辛いなら出会わなければよかった”、の言い回しを思い出す。


以前は「結果論じゃないか」と否定的に捉えていた。


でも、今なら少し、理解することが出来る。


どうせ一人になるなら、この四日間だって無かったほうが良かった。


心の何処かでそんな声が聞こえる。

違う、とすぐに反論する。



重たそうなカバンを持った彼女を品川駅で出迎え、

楽しそうに友達のことを話す横顔を眺めながら電車に揺られ、

この町に彼女がいることに嬉しい違和感を感じながらアパートに帰り、

「いってきます」と言えば、「いってらっしゃい」と見送ってくれて、

仕事で疲れて帰って「ただいま」と言えば「おかえり」と笑ってくれて、

みなとみらいで観覧車に乗って、ポケモン探しに赤レンガ倉庫辺りを歩きまわって、

中華街でお腹いっぱいになって、

満腹と歩き疲れでヘトヘトになって電車に揺られて、

それでもポケモンを探すためにわざと一駅手前で降車して歩いて帰って、


おれがお風呂から上がれば携帯を握ったまま眠ってしまっていて、


今日はのんびりしようって、近所でポケモン探しをして、


電車に揺られ、新幹線口で彼女の後ろ姿が見えなくなるまで見送って。




こんなに楽しくて、こんなにあっという間で。


この4日間の、一分だって不要なものはない。





そうして歯車は回る。

引き返しちゃいけないよね。

君のいない、道の上。





べたついた右手と一緒に、顔を洗った。


何度も何度も、顔を洗った。



23:12