東京 closing down

現実とフィクションと音楽。始まりのエンドロール。 Photo by shun nishimu

蘇生(2/2) 8/11 19:28

 

 

突然の土砂降りを全身で浴びながら、”ショーシャンクの空に”を思い返していた。

 

約20年かけて独房の壁を掘り進め嵐の夜ついに脱獄に成功し、身に纏うものを脱ぎ捨て雨の降りしきる天を仰いだアンディに自身を重ねる。

 

黒い傘を広げた背広の中年が、奇妙なものでも眺めるように目の前を通り過ぎる。

 

勘弁してくれ。

 

会社で傘を盗まれるのは三度目だ。

 

一度目は入社して半月の頃、朝から雨が降っていた肌寒い日だった。

 

オフィスの入り口に設けられた社員用の傘立てに収めたのが9時50分、さて昼飯でも食べようかと傘立てを覗いた14時の時点で傘は既に消えていた。

 

二度目はその一月後。

 

会社の雰囲気を徐々に掴み、冷静になって周りを見渡してみれば大半の社員は自分のデスクに傘を立てかけていることに気が付いた。

 

なるほど確かに、あれほど多くの傘が乱立した場所では自分のビニール傘を見分けることは難しいかもしれないと、今度は自分のデスクに置くことにした。

 

午後には雨が上がったこともあり、置き傘として一本置いておこうと持参した傘は自分のデスクに置いたまま、その日は退社した。

 

その翌日ぽつりぽつりと雨が降っていたが、会社に傘を置いていたこと、お金が乏しかったことから傘を持たず早足で出社した。

 

デスクには、在るはずの置き傘が失くなっていた。

 

途端に叫びだしそうになったが、なるほど外回りの営業さんが借りていかれたのだなと、アルバイトでありながらお役に立てる喜びを感じることで何とか抑えた。

 

その傘を返しに来る営業さんは未だに現れない。

 

 

そして今日、三度目の正直だ。

 

奴らは確実に俺の傘をパチっている。

 

なぜ俺が、松屋を目前にした信号待ちでびしょ濡れにならなければならないのだ。

 

百歩譲って、一度目のように大勢が使う傘立ての中から”間違えて”持って行ってしまったというのなら、同情の余地はある。

 

俺もコンビニで購入したビニール傘を使っているから、似たような傘はその中に何本でもあり、故意でなくても理解できないことはない。

 

しかし、翻って、今回俺は”自分の”デスクに置いていた。

 

誤って国貞くんの席に近づき、誤って国貞くんの傘を持って行ってしまった、何て話があるだろうか。

 

否、奴らは確実に国貞くんの傘をパチっている。

 

無罪でありながら何年も刑務所の中で静かに耐え続けたアンディを思い、妙に長く感じる赤信号を眺めながらアンガーマネジメントに努める。

 

 

“ネギたま牛めし”の食券を購入し、入り口近くのカウンター席に向かった。

 

松屋はいい。

 

一人の濡れた青年も、一人のお客さんとして扱ってくれる。

 

食券を店員に手渡し、しっとりと濡れた頭を掻きながら丸い椅子に腰を下ろした。

 

その瞬間、尻部辺りから亀裂音が聞こえた。

 

何が起きたのかはすぐに想像がつき、独房内でのアンディを真似るように天井を仰ぎ、ため息を付いた。

 

 

勤める会社へはエレベーターを八階で降りる。

 

エレベーターホールの左手側にはトイレと給湯室、右手側には来客用のエントランスがある。

 

エントランスを右に抜け、ビルの壁に沿うように左に折れる廊下を進んだその突き当りにオフィスへのドアがある。

 

ドアはオートロックとなっており、社員証も兼ねているIDカードをかざすことでロックが解除される。

 

部外者の立ち入りを禁止する目的であろうそのセキュリティーは、入社当時こそ”会社っぽくて何かいい”と浮かれていたが、

オフィスへ入る場合のみならず、オフィスから出る際にもIDカードをかざさなければ解錠されないため、数週間もすると煩わしさしか感じなくなった。

 

勤務中その社員証は首からぶら下げており、昼休憩のように外出する際にはズボンの後ろポケットにしまっていた。

 

 

さて、と少し腰を浮かせ後手で取り出した社員証は、縦にひび割れチップのようなものが顔を覗かせていた。

 

これで反応しなくなればオフィスへ入ることができなくなる。

 

もっとも、他の社員が扉を開けた同じタイミングでならば出入りは可能なのだが、誰とも被らなければ面倒だ。

 

鍵の掛かったドアの前で誰か通りがかるのを待っている雨で濡れた青年。

 

まったくかわいそうだ。

 

俺はかわいそうになりたくないし、同情されたくもない。

 

無為に濡れた髪の毛をかき上げ、勘弁してくれ、と周りに聞こえぬよう呟いた。

 

 

松屋を出れば雨は小降りになっており、セブンイレブンのホットコーヒーを飲みながら狭い喫煙所で食後の一服を嗜んだ。

 

エレベーターを八階で降りる。

 

がらんどうのエントランスとそこから伸びる廊下には人の気配が全く無く、まるで生体実験の研究施設を彷彿させるような気味の悪い清潔感と、相容れない無人の空気感に絶望を煽られた。

 

やはり、と言うべきか、こんな時に限って人の出入りが極端に少ない。

 

無人の廊下をとぼとぼと歩きながら角を左に折れた時、オフィス内から二人の女性社員が談笑しながら出てくるところだった。

 

心臓の鼓音にはやる足元を落ち着かせ、なるべく平然を装うように「お疲れ様です。」と交わし、二人組が通り過ぎたところで、駆け出した。

 

全ての動きがスローモーションに映る。

 

突然の挙動に振り向く女性社員、風を受ける濡れた髪、閉まろうとする扉。

 

あと一歩。

 

無情にも鉄の板は、目の前でカチャリと音を立ててしっかりと施錠された。

 

勘弁してくれ。

 

固く閉ざされたドアを前に、冤罪によって投獄されたアンディに思いを馳せる。

 

「良かったら開けましょうか?」

 

先ほどの女性社員がくすくすと笑いながら、IDカードを差し出してきた。

 

笑いたければ笑うがいい。

 

だが、「本当にありがとうございます。」

 

 

とりあえず助かったと自分のデスクに戻れば、傘を盗まれた怒りが再びこみ上げてきた。

 

198/200。

 

あの女性社員は、俺の傘を盗んでいない。

 

 

帰り道、相変わらず降り続く雨に根負けし、コンビニで傘を購入した。

 

どんよりとした天候に心まで晴れない。

 

傘を差す人々と窮屈にすれ違いながら、何だか自分だけが特別不幸に思えてくる。

 

No rain.No rainbow.

 

ふと、いつか聞いた言葉を思い出す。

 

証拠不十分ながら終身刑を言い渡され、劣悪な環境のショーシャンク刑務所に投獄されたアンディは、刑務所の中でどのようして希望を見出したのか。

 

何を思い、二十年間壁を掘り進めたのか。

 

この雨がやんだとき、果たして虹は架かるのか。

 

五十年間服役した老囚人ブルックスは仮釈放の際、あまりにも長すぎた刑務所での生活から、外の世界に馴染めず自ら首を吊って命を絶った。

 

brooks was here.

 

命を絶つ間際、彼はロープをくくり付けた梁(はり)にそう刻んだ。

 

希望とは何か。

 

傘をぶつけながら人混みに揉まれつつ、頭の中では感情が渦巻いていた。

 

希望とは、何かを信じることじゃないか。

 

現実に虹が架かるかどうかじゃなく、いつかこの雨が降り止み、いつか虹が架かると信じること、それが希望じゃないか。

 

時にそれは他人であったり、物であったり、自分であったりする。

 

信じることが出来ず殺めた過去の自分を、ブルックスのように首を吊ったいつかの自分を、蘇生させる。

 

信じることが、自分を生かせる希望となる。

 

 


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スクランブル交差点の信号待ち、雨水が靴に染み込み、つま先に冷たさを感じる。

 

きっと、生まれ変わっていける。

 

消し去れない過去がページを汚していたとしても、描き続けたい未来があるなら、きっと。

 

 

信号が変わり大衆が歩き出してもまだ、一人動けずにいた。

 

何度でも、生まれ変わっていける。

 

そしていつか捨てた、夢の続きを。

 

brooks was here.

 

やりかけの未来があるなら、きっと。

 

ロープの垂れ下がった心の梁に、書き足す。

 

 

and born again.

 

 

点滅する青信号にふと我に返り、駆け出した。

 

 

何度でも、生まれ変わっていける。

 

 

そしていつか見た、夢の続きを。

 

 

19:28

 

ー 東京編