東京 closing down

現実とフィクションと楽曲が重なったとき、始まりのエンドロールが走りだす。 Photo by shun nishimu

煙草と天動説 12/24 6:32

 

《東京の太陽は、ビル間から昇る。》 

 

 

例えば有神論者は、

『この世界は神が創造したのだ』と謳う。

 

生命の誕生も地球の終焉も、神の意向によるものだと説く。

 

であるのなら、人の記憶や過去の記録は何の効力も失って、1995年2月27日におれが生まれたことの証明もできない。

 

もしかすると、神は一年前に、
いまの世界を創造したのかもしれない。

 

記憶や古文書でさえ、

「さっき創りました。」と神が言えば、

それが歴史の証明に成りうることはない。

 

「そういう記憶とそういう状況を、いま創りました。」

と神が言えば、


おれが今、喫煙所にいることも、


5分前に火を付けたこの煙草も、


それが半分まで短くなっていることも、


何の説得力も持たない。

 

中学まで続けた、下手くそで苦痛でしかなかった軟式野球も、


自堕落な生活で寝坊ばかりしていた高校大学も、


後ろめたさと面倒くささで行かなかったおじいちゃんのお見舞いも、


正しいと思い込んだ間違った選択もすべて、


証明の為の仮定にすらならない、
意味を持たなくなってしまう。

 

そのすべてを、「いま創りました。」と神が言うのなら、
じゃあ、こうなったのはおれの責任じゃない、と楽観していいのだろうか。

 

都合はいいけど、ほとほと困る。

 

とことん悔しく、都合がわるい。

 

oh my God、お助けを。

 

まったくもって、ナンセンス。

 

なんて話、あるわけない。

 

存在しないことを、おれは証明できない。

 

それでもいい。

 

どっちでもいい。

 

 

東京はビルばかりだ。

 

13階から外を眺めても、
背の高いビルに囲まれて、
水平線は見えない。

 

5分前に火を付けて半分まで短くなった煙草を吸いながら、
明るんだ東の空に、ビルで隠れた太陽を探す。

 

占いも宗教も神も、とことん懐疑的だ。

 

んなわけねーだろと嘲るこの感情でさえ、
誰かに創られたものだとすれば、完敗だ。

 

でもその“誰か”を作り上げているのも
おれ自身だとすれば。

 

いたちごっこの水掛け論。

 

らちが明かない。

 

そうだとしても、抗うのだ。

 

いたちごっこなら化け続け、

 

水掛け論なら水を掛け続け、


「らちが明かない」と“誰か”が嘆く。

 

「oh my God」と、神が憂う。

 

 

この夜明けは、新世紀の幕開けだ。

 

東京の太陽は、ビル間から昇る。

 

5分間の歴史で、最初の証明だ。

 

12/24 6:32