東京 closing down

現実とフィクションと音楽。始まりのエンドロール。 Photo by shun nishimu

弁当箱と換気扇 12/28 8:41

 

 

職場では、多忙なスケジュールを抱えるスタッフの為に、出前や弁当の注文をとっている。

 

夜勤のおれはその余りを、夜食として深夜に戴いていた。

 

千円近くする弁当は、一つ一つの具材が丁寧に調理されており、冷めていてもなおコンビニ弁当では味わえない満足を感じる。

 

弁当を食べるとき、ふと中学時代を思い出すことがある。

 

 

通っていた中学校では、各々弁当を持参するか、デリバリーと呼ばれる給食をとる二択があった。

 

その給食だが、小学校の出来立てのものとは違い、他所で調理されて運ばれてくるものだったから、おかずはほとんど冷めており、しかも味も劣ると生徒からの評判が悪かった。

 

一方おれは、毎朝母さんが作る弁当を持参しており、毎日献立の変わるデリバリー給食を羨ましく感じていた。

 

と言うのも、母さんの作る弁当は毎日決まった具材で、いつフタを開けても玉子焼き、ミートボール、きんぴらゴボウ、ピーマンの和え物、ミニトマト、そして白米が変わらぬ配置で静座していた。

 

思い返せば幼稚園の頃からこのバリエーションに変化はなく、苦手だったピーマンも泣きながら食べていたらそのうち平気になっていた。

 

 

いつか、母さんに頼んだことがある。

 

冷凍食品も最近ではクオリティも高くなっており、友人の弁当箱では色とりどりのおかずが美味しそうに並べられている。

 

ウチの弁当にも、冷凍食品のラインナップを増やしませんか?

 

その数日後、弁当箱を開けるといつものおかずの隅に、冷凍食品のハンバーグが詰まっていた。

 

おお、これはハンバーグだ、うまい。

 

しかし冷凍庫のハンバーグの在庫も無くなると、また弁当はいつもの弁当に戻った。

 

その都度おれは冷凍食品を求め、毎日の昼食に若干の不満を抱いたまま過ごした。

 

 

そんな弁当と比べ、不評とはいえデリバリー給食は魅力的だった。

 

毎日違うおかず、なんて贅沢なんだろう。

 

おれは母親に頼み、中学二年生に上がるとデリバリー給食をとるようになった。

 

なぜ不評なのかわからない程、給食は満足だった。

 

確かに小学校のそれと比べれば劣る部分もあるが、冷めているのは弁当にしても同じであるし、味も全然悪くない。

 

素晴らしいデリバリー。ビバ給食。

 

 

それから数年。

 

おれは高校生になったおれは一人暮らしを始めた。

 

自炊は想像以上に手間で面倒で、閉店間際のスーパーの弁当を買った方がお得で楽だと気付いた。

 

そう考えれば、月並みな言葉だけど母は偉大だ。

 

おれの母さんは保育士で、朝早ければ夜も遅くなることがあった。

 

疲れて退社後、スーパーで買い物をして、帰宅したらすぐ夕飯を作る。

 

翌朝早くに目覚めて、家族の朝ご飯と弁当を作って出社。

 

とてもじゃないがそんなタスクこなせないと、当時思った。

 

母さんすげぇよ。

 

そしてふと、思った。

 

おれの中学時代、仕事で朝も早いなら、最初から給食とった方が楽だったんじゃない?

 

作るにしても、チンするだけの冷凍食品の方が、楽だったんじゃない?

 

さすがにミートボールとミニトマトは作ってなかったけど、思い返せば、玉子焼もピーマンもきんぴらも、毎朝早くから、母さんは作っていた。

 

おれが起きるとリビングには、いつも朝食と弁当が用意されていた。

 

それを拒んで、おれが給食を選んだとき、何を感じたのだろう。

 

 

青さとは時に、罪である。

 

冷凍食品の手軽さと美味しさを知りながら、なぜ母さんが手作りのおかずにこだわったのか、今ならわかる気がする。

 

 

それからまた数年。

 

おれは単身上京した。

 

そんな母さんから、時々荷物が送られてくることがある。

 

高校生の頃から、おれがcoenで服を買っていたからか、coenのシャツやニットを送ってくる。

 

おれに金がなくて、服を買う余裕もないのだろうと察してくれたのだろうが、ギンガムチェックは四枚もいらないよ、母さん。

 

頻繁に綿棒送ってくるから、大量の綿棒があるよ、母さん。

 

大家さんに渡すためのクッキー、喜んでくれたよ、母さん。

 

強風で換気扇が逆回転して煙草の煙が部屋に跳ね返ってくるよ、母さん。

 

おれは元気にやっているよ、母さん。

 

ありがとう、母さん。

 

フォーエバー、母さん。

 

 

12/27 8:41