東京 closing down

現実とフィクションと音楽。始まりのエンドロール。 Photo by shun nishimu

1グラムと空中分解 2/10 15:00

 


一万円を無くした。


それは決して、新宿の居酒屋でぼったくられたとか、パチンコで負けたであるとか、はたまたヤフオクで使い物にならないものを一万円で落札したわけでもない。

単に、一万円札を紛失しただけだ。

仕事の関係で二万円の立替が必要になることがあり、入金されて間もない給料をATMから引き出し、封筒に入れて用意していた。

そして現場に向かうと実際には一万円しか必要ないことがわかったので、その場で一枚抜いてポケットに収めた。

そして、無くした。

おれはスプーンを曲げることは出来ないし、相手が選んだトランプのカードを当てることも出来ない。

マジシャンではないおれが一万円札を消すことが出来るとすれば、不特定多数の人が行き交う職場で落とす以外に手はない。

財布も鍵も携帯も煙草も無くすことがないおれが、一万円札を落とした。

一万円札は1000枚で約1000gらしい。

一枚あたり約1gだ。

時給1000円で10時間働けば、一万円になる。

10時間の労働がたったの1グラムと、等価値なのだ。

そう考えれば、電子マネーの類は恐ろしいものだ。

実体を持たない情報に変化したそれを、大した理解もないまま受け入れている。

自動発券機でSuicaに千円チャージするたび、不安に思う。

「チャージが、完了しました。」

ほんとに?と、思う。

そして自動改札機にタッチしたとき、残高に反映されていることを確認して、ほっとする。

それが真実かどうか確認する術を、おれはもっていない。

おれはマジシャンじゃないから。

考えたって仕方がないので、喫煙所に向かった。

煙草一本、これも約1グラム。

『スモーク』という映画で、印象的なワンシーンがある。

映画の冒頭で、舞台となるタバコ屋の常連客が得意気に話し始めるのだ。

「煙の重さを計る方法があるんだぜ」

それはつまり、まず吸う前の煙草を秤に載せて重さを量る。

そして燃え尽きて灰になった煙草をまた秤に載せ、吸う前の重さと差し引けばいいと、言う。

なるほど、と思いながらも、なんだそれは、とも思う話だ。

薄くなるノートパソコンは、本当にノートみたいに取り回しが易くなった。

厚着しなくても、ヒートテックを着れば暖かい。

辞書も長編小説も週刊誌も、電子書籍の登場で只の情報容量と化した。

世の中から、重さが減っていく。

世の中が、軽くなっていく。

重力に逆らい、空を飛べる日もそう遠くないのかもしれない。

“薄い!軽い!”

そんな謳い文句が世の中を飛び回る。

そのまま煙草の煙みたいにぷかぷか浮かんで、壁を黄ばませるヤニのように、世界丸ごと、みんな全部、空に染み込んでいく。

誰もいない商店街、点滅するネオン、空っぽの高層ビル。

ポケットから落ちた一万円札が、空をゆらゆらと舞う。

ひらひらと、ゆっくりと、1グラムが舞う。

2/10 15:00