東京 closing down

現実とフィクションと音楽。始まりのエンドロール。 Photo by shun nishimu

ろくでもないこと

 

 

「人生は煙草みたいなもんだ。最期はみんな灰になる。」

 

宮沢は火をつけたばかりの煙草をゆらゆらと揺らして言った。

 

「それなら別に、ビールだっていいじゃないか。飲み干せば最後には」

 

そう言って葛木はビールを一息に飲み干し、骨しか残らない、と続け、音を立ててジョッキを置いた。

 

宮沢は灰皿のふちで灰を削りながら、溜め息のように煙を吐き出した。

 

「ビールでは駄目だ。それはお前が飲むから空になるだけで、飲まなければ減ることはない。煙草は火がつけば放っておいても身を削る。」

 

皿を下げようとした店員に追加のビールを頼んだ葛木は、赤らめた頰に手をついて宮沢を眺めた。

 

「お前はわかってないな。ビールは鮮度が大事だ。炭酸が抜けてぬるくなれば不味くなる。自殺と同じだ。」

 

葛木は宮沢のジョッキに残ったビールを顎でしゃくった。

 

宮沢は言われなくてもわかってる、と表情に出しながらビールを飲み干すと、苦い顔のまま去り際の店員にジョッキを手渡した。

 

そして短くなった煙草を揉み消し、首を振って答えた。

 

「不味かろうが人生は続くんだ。楽しくないから止まるものでもない。平等に時間は流れるんだ。こうして大学生が行くような居酒屋で冴えない男が向き合うその間にも、ディズニーランドではパレード隊が行進して、路地裏のラブホテルは満室だ。」

 

宮沢は漬物を一口摘み、箸を持ったまま葛木を指す。

 

「いいか。煙草は何時だって旨いもんではない。むしろ不味いときの方が多いさ。人生にしてみたってそうだろ、いい事なんてそうあるもんじゃない。それでも、命を燃やし続けるしかないんだ。」

 

通りでこの歳になってもこんな安居酒屋で飲んでるわけだ、と葛木はおどけてみせた。

 

それには答えず宮沢は続けた。

 

「そして最後には吹けば飛ぶような灰と、吸殻という名の骨が残るだけだ。たかが数十年の人生では、世の中に大したものは残せない。福沢諭吉のように紙幣に顔が載るほどの偉業を成し遂げない限りな。」

 

ダウンタウンさんのお笑いはまさに偉業だと思うけどね。世代を超えて評価され、受け継がれる。」

 

「俺たちみたいに、たった数秒観客の笑いを誘う程度なら、旬が過ぎて、燃え尽きてしまえばお終いだ。はらりと舞う灰には誰も目もくれない。」

 

宮沢と葛木は幼稚園からの幼馴染だった。同じ小学校、中学校を経て、高校こそ別を辿ったが交友は続き、卒業と同時にお笑いのコンビを結成した。

 

アルバイトで貯めたお金を手に、五年前に上京した。

 

強烈なキャラクターや、トリッキーなギャグが求められる現代のメディアに対して、古典的とも呼べる漫才スタイルの二人は苦戦を強いられていた。

 

それでも、と葛木は言う。

 

「それでも、その瞬間は最高だ。どこの誰かも知らない他人を笑顔にできた瞬間だけは、幸福を感じれる。自分達は間違っていなかったと、世間に認められた気がする。」

 

「まあな。」

 

宮沢は息を吐くように笑うと、運ばれたビールに口をつけた。

 

普段は意見が全く合わない二人だったが、ひとたびお笑いのこととなれば別だった。

 

流行り廃りでなく、お互いが一貫して信じるそのスタイルは、決して大衆受けのいいものではなかった。

 

二人はキャッチーさや、ただテレビ映えするという理由だけの一過性の笑いを嫌った。

 

そしてテレビ関係者やオーディションの審査員には、分かりやすいギャグや動きを取り入れなさいと、幾度となくアドバイスを模した皮肉を言われている。

 

それでも二人は意に介すことなく、感情的な葛木は時に批評家に噛み付きさえした。

 

クライアントに歯向かう、言わば芸人生命の危機とも言える行動だ。

 

しかし宮沢はというとそれを咎めることもせず、その空気の中でまるで漫才の延長のように葛木にツッコミを入れる。

 

葛木もそれをわかってか、突拍子もなくボケることが多々あった。

 

ーーさっきから偉そうなことばっかり並べてるけど、よくよく考えたらあんたら何様だよ。

 

ーーいや審査員だよ、批評していただいてるんだよ。

 

ーーお批評さん?

 

ーーお師匠さんみたいに言うな。

 

ーーだいたい動きを入れろとか何とか言うけどな、芸人みんなそれしてたらもうエグザイルでしょ。

 

ーーそういう動きを入れろとは言われてませんけどね。もうダンスユニットですね。

 

それは紛れもなく、家族以上の距離感で過ごしてきた二人の過去があり、お互いのバックボーンを理解した間柄だからこそ成し得るものだった。

 

しばらくの沈黙のあと、ところで、と葛木は切り出した。

 

「さっきの話だけど、同じ紙巻なら、俺はマリファナがいい。するとどうだ、吸えば最後、みんなハイになる。」

 

「人生を説く比喩にマリファナなんて論外だ。」

 

「それを言うなら二十年前のお前の母親に聞かせてみたいね。息子さんは二十年後、安居酒屋で煙草を吸いながら、人生ってのは、なんて語り出しますよってな。」

 

「ついでに二十年前の俺にも伝えておいてくれ。葛木くんとは関わらない方が身のためだ、と。」

 

「それはいい。そうすれば葛木くんも、この歳になってまでこんな安居酒屋で胡散臭い男の人生講座を聞かなくて済むからな。」

 

少し間を置いて、次の煙草に火をつけながら宮沢はトーンを落として言った。

 

「芸人なんてなるもんじゃない。満員電車に揺られながら会社勤めをするサラリーマンを尊敬するよ。よっぽど賢い。」

 

顔を覗き込むようにしたあと葛木は、宮沢の煙草を一本抜き取った。

 

「本当にそう思うなら、最初から上京なんてしてないだろ。確かになるもんじゃない。でも芸人は、最高なんだよ。」

 

ライターを手渡しながら、まあな、と宮沢は笑った。