夜を越えて 4/6
桜が綺麗だった。
毎年、この季節になれば目にしていたはずなのに、意識するより先に足を止めるほど、目を奪われた。
忙殺される日々から抜け出した四月の初頭、沿道に植えられたソメイヨシノは満開だった。
白桃の綿飴みたいなその一木も、近くに寄れば、一輪一輪が表情を変えていることに気がつく。
アスファルトを這う花びらも、たったの一枚であれば目に留まることすらないのに、目で見える風のように渦を巻く。
そう都合よくいかないものだと、若干の落胆をぶら下げて、しばらく立ち止まっていた。
*
何の前触れもない平日の夜、たしか、時計の針が頂上を越えた頃。
別れを切り出したのは突然だった。
彼女も驚いていたけど、それ以上に自分が驚いていた。
あまりの忙しさに頭のネジが緩んだのかと疑うほど、我ながら唐突なことだった。
電話越しに、どうして、なんで、と、矢継ぎ早に疑問を投げつけてくる彼女に、ただ、ごめん、としか返すことができなかった。
理由らしい理由がほしくて、他に好きな人ができた、とも苦しい嘘をついた。
不意に、なんでもない会話を思い出していた。
「もしも魔法が使えたら、どうする?」
「孤立したくないから使わない」
「なにそれ。そんなのおもしろくないよ」
「じゃあどうするの?」
「空を飛びたいな。そうしたら、飛んで会いに行けるから」
「まさに文字通りだね」
「だって遠いもん。新幹線も高いし」
「自分で空を飛ぶよりは早いと思うけどね」
「飛んでまで会いに来る彼女って可愛いと思わない?」
「ちょっと怖いかな」
「大事なのは気持ちだよ」
今ではその距離を、救いに感じてしまう。
彼女の泣き顔を目前にすればきっと、僕の決意は揺らいでしまう。
どうしようもないことって、あると思う。
恋愛は理屈じゃないけど、感情で解決できないことも、あると思う。
空は飛べないし、気持ちも変えられない。
でも、選択することはできる。
それが正しいのかはわからないし、口走ったそばから間違っているんじゃないかとも思う。
二人の自分がいた。
一人は、なんて事を言っているんだと、叱責する自分。
ごもっともだ。なんて事を言っているだ。
もう一人は、これでよかったんだと、座り込む自分。
これでよかったんだと、言い聞かせるしかない。
もう好きじゃなくなったの?
その質問には尚更答えることができず、ただ、ごめん、と返した。
地面がぶくぶくと泡を立てて、両足からゆっくりと、ぬるい何かに飲み込まれていく感覚だ。
その原因も、這い上がる為の手段も、右手がしっかり握っているんだけれど。
これで、いいんだ。
一方的に電話を切り、煙草に火をつけた。
心にぽっかり穴が開く、とはよく言ったもので、肺に穴でも開いているんじゃないかと、煙も、酸素も、漏れ出すようだった。
もしも魔法が使えるなら、この穴を塞ぎたい。
不安と後悔と、疲労のような達成感は虚しさを孕んでいて、息苦しくなる。
もう会えなくてもいい。
どこかで元気で、過ごしてくれたらいい。
この夜を越えたらきっと、それが正しい未来だ。
本気でそう思っているんだろうか、そう思い込みたいだけなんだろうか。
自分が手を離したくせに、その手を下ろせずにまだ、心に開いた穴の淵で、立ち尽くしている。
時折思い出したように煙草を吸っては深く吐いた。
いつの間にか時計の針は首をもたげて、空が明るんでいた。
いっそのこと、立ち直れないほどに叩き潰してくれればいい。
例えば、一年の間に起こる不幸の数が決まっているとすれば、短いスパンに連続して振ってくれた方がいい。
蝉が命を謳歌する七日間のように、一年の不幸を清算する一ヶ月間があってもいいだろう。
本厄年があるなら、本厄月があってもいいだろう。
それが五月であるのなら、それを五月病と呼べばいい。
何の確率論でもない、幸、不幸の採択は、睡夢を書き起こした散文のように掴みどころがない。
幸せは自分で掴むもの、というのは確かに正しいと思う。
結果としての幸せは、自分が下した判断と選択の産物であることに間違いない。
美味しいものを食べることが幸せなら、美味しいものを選択して食べればいい。
意図しない方向からの幸せにしてもそうだ。
例えば、「アイスキャンディーを買ったら、ハワイ旅行チケットが当たって、恋人とかけがえのない思い出を作ることができた」。
当たりくじを選んだのも、ハワイに行くことを決めたのも、そもそも恋人がいることも、自分が選択した結果だ。
必ず努力に起因するわけじゃない。
この道を歩いて帰ること、コンビニに立ち寄ること、牛丼屋でごちそうさまと声をかけること、すべての選択が未来を紡ぐ。
もちろん、何もしない、という選択も。
その上で、よいこと、が連続して起こったときには、得てして不安になる。
何寸か先の闇には、逆張りの不幸が待ち構えている。
何かを持ってないことよりも、何かを失うことの方が怖いんだ。
反面、わるいこと、が重なったときには、どこか安堵している一面がある。
つらい宿題を先に済ませた生徒には、無償の夏休みが待っているものだ。
一番厄介なのは、よいことが半端に起こることだ。
気分はゆっくりと切り替えるべきであって、冴えないときは、とことん冴えないでいたい。
深く沈もうとしているときに、無為に、無理やりに引き上げられたくない。
深海でしか見れない景色もあるのだ。
真っ暗で何も見えないかもしれないけど。
人生が航海なら、頻繁な浮き沈みはきっと酔ってしまう。
沈むときは、沈んでいればいい。
盲目の世界を、素敵だと愛してみたい。
それでいいんだ。
底に穴の空いた船が、ゆっくりと沈んでいく。
泳げなくてもいい。
それでもいい。
それでも、仕方がないんだ。
もう好きじゃなくなったの?
首を振って、答えたい。
溺れるほどに、好きだよ。
*
「however」と描かれた錆びたプレートが、朝日が眩しい海面にぷかぷかと浮かんでいる。
そう都合よくいかないものだ。
夜明けと共に、救いようのない雨でも降ってくれたらいいのに、清々するほどの快晴だ。
でも、こんなときだからといって、ミュージックプレイヤーが気の利いた選曲をしてくれるわけではない。
呑気な歌声が可笑しい。
自分の感情ひとつで、世界が色を変えることはない。
でも、その逆はあるのだから、なんだか狡い。
そう都合よく、悪いことは続かないから、嫌になるんだ。
ソメイヨシノを見上げた。
息をのんで、眺めた。
よいこと、かはわからない。
それでも、綺麗だと思った。
4/6
今週のお題「もしも魔法が使えたら」