東京 closing down

現実とフィクションと楽曲が重なったとき、始まりのエンドロールが走りだす。 Photo by shun nishimu

夜を越えて 4/6

 

 


桜が綺麗だった。

 

毎年、この季節になれば目にしていたはずなのに、意識するより先に足を止めるほど、目を奪われた。

 

忙殺される日々から抜け出した四月の初頭、沿道に植えられたソメイヨシノは満開だった。

 

白桃の綿飴みたいなその一木も、近くに寄れば、一輪一輪が表情を変えていることに気がつく。

 

アスファルトを這う花びらも、たったの一枚であれば目に留まることすらないのに、目で見える風のように渦を巻く。

 

そう都合よくいかないものだと、若干の落胆をぶら下げて、しばらく立ち止まっていた。

 

 

何の前触れもない平日の夜、たしか、時計の針が頂上を越えた頃。

 

別れを切り出したのは突然だった。

 

彼女も驚いていたけど、それ以上に自分が驚いていた。

 

あまりの忙しさに頭のネジが緩んだのかと疑うほど、我ながら唐突なことだった。

 

電話越しに、どうして、なんで、と、矢継ぎ早に疑問を投げつけてくる彼女に、ただ、ごめん、としか返すことができなかった。

 

理由らしい理由がほしくて、他に好きな人ができた、とも苦しい嘘をついた。

 

不意に、なんでもない会話を思い出していた。

 

「もしも魔法が使えたら、どうする?」

 

「孤立したくないから使わない」

 

「なにそれ。そんなのおもしろくないよ」

 

「じゃあどうするの?」

 

「空を飛びたいな。そうしたら、飛んで会いに行けるから」

 

「まさに文字通りだね」

 

「だって遠いもん。新幹線も高いし」

 

「自分で空を飛ぶよりは早いと思うけどね」

 

「飛んでまで会いに来る彼女って可愛いと思わない?」

 

「ちょっと怖いかな」

 

「大事なのは気持ちだよ」

 

今ではその距離を、救いに感じてしまう。

 

彼女の泣き顔を目前にすればきっと、僕の決意は揺らいでしまう。

 

どうしようもないことって、あると思う。

 

恋愛は理屈じゃないけど、感情で解決できないことも、あると思う。

 

空は飛べないし、気持ちも変えられない。

 

でも、選択することはできる。

 

それが正しいのかはわからないし、口走ったそばから間違っているんじゃないかとも思う。

 

二人の自分がいた。

 

一人は、なんて事を言っているんだと、叱責する自分。

 

ごもっともだ。なんて事を言っているだ。

 

もう一人は、これでよかったんだと、座り込む自分。

 

これでよかったんだと、言い聞かせるしかない。

 

もう好きじゃなくなったの?

 

その質問には尚更答えることができず、ただ、ごめん、と返した。

 

 

地面がぶくぶくと泡を立てて、両足からゆっくりと、ぬるい何かに飲み込まれていく感覚だ。

 

その原因も、這い上がる為の手段も、右手がしっかり握っているんだけれど。

 

これで、いいんだ。

 

一方的に電話を切り、煙草に火をつけた。

 

心にぽっかり穴が開く、とはよく言ったもので、肺に穴でも開いているんじゃないかと、煙も、酸素も、漏れ出すようだった。

 

もしも魔法が使えるなら、この穴を塞ぎたい。

 

不安と後悔と、疲労のような達成感は虚しさを孕んでいて、息苦しくなる。

 

もう会えなくてもいい。

 

どこかで元気で、過ごしてくれたらいい。

 

この夜を越えたらきっと、それが正しい未来だ。

 

本気でそう思っているんだろうか、そう思い込みたいだけなんだろうか。

 

自分が手を離したくせに、その手を下ろせずにまだ、心に開いた穴の淵で、立ち尽くしている。

 

時折思い出したように煙草を吸っては深く吐いた。

 

いつの間にか時計の針は首をもたげて、空が明るんでいた。

 

いっそのこと、立ち直れないほどに叩き潰してくれればいい。

 

例えば、一年の間に起こる不幸の数が決まっているとすれば、短いスパンに連続して振ってくれた方がいい。

 

蝉が命を謳歌する七日間のように、一年の不幸を清算する一ヶ月間があってもいいだろう。

 

本厄年があるなら、本厄月があってもいいだろう。

 

それが五月であるのなら、それを五月病と呼べばいい。

 

何の確率論でもない、幸、不幸の採択は、睡夢を書き起こした散文のように掴みどころがない。

 

幸せは自分で掴むもの、というのは確かに正しいと思う。

 

結果としての幸せは、自分が下した判断と選択の産物であることに間違いない。

 

美味しいものを食べることが幸せなら、美味しいものを選択して食べればいい。

 

意図しない方向からの幸せにしてもそうだ。

 

例えば、「アイスキャンディーを買ったら、ハワイ旅行チケットが当たって、恋人とかけがえのない思い出を作ることができた」。

 

当たりくじを選んだのも、ハワイに行くことを決めたのも、そもそも恋人がいることも、自分が選択した結果だ。

 

必ず努力に起因するわけじゃない。

 

この道を歩いて帰ること、コンビニに立ち寄ること、牛丼屋でごちそうさまと声をかけること、すべての選択が未来を紡ぐ。

 

もちろん、何もしない、という選択も。

 

その上で、よいこと、が連続して起こったときには、得てして不安になる。

 

何寸か先の闇には、逆張りの不幸が待ち構えている。

 

何かを持ってないことよりも、何かを失うことの方が怖いんだ。

 

反面、わるいこと、が重なったときには、どこか安堵している一面がある。

 

つらい宿題を先に済ませた生徒には、無償の夏休みが待っているものだ。

 

一番厄介なのは、よいことが半端に起こることだ。

 

気分はゆっくりと切り替えるべきであって、冴えないときは、とことん冴えないでいたい。

 

深く沈もうとしているときに、無為に、無理やりに引き上げられたくない。

 

深海でしか見れない景色もあるのだ。

 

真っ暗で何も見えないかもしれないけど。

 

人生が航海なら、頻繁な浮き沈みはきっと酔ってしまう。

 

沈むときは、沈んでいればいい。

 

盲目の世界を、素敵だと愛してみたい。

 

それでいいんだ。

 

底に穴の空いた船が、ゆっくりと沈んでいく。

 

泳げなくてもいい。

 

それでもいい。

 

それでも、仕方がないんだ。

 

もう好きじゃなくなったの?

 

首を振って、答えたい。

 

溺れるほどに、好きだよ。

 

 

「however」と描かれた錆びたプレートが、朝日が眩しい海面にぷかぷかと浮かんでいる。

 

そう都合よくいかないものだ。

 

夜明けと共に、救いようのない雨でも降ってくれたらいいのに、清々するほどの快晴だ。

 

でも、こんなときだからといって、ミュージックプレイヤーが気の利いた選曲をしてくれるわけではない。

 

呑気な歌声が可笑しい。

 

自分の感情ひとつで、世界が色を変えることはない。

 

でも、その逆はあるのだから、なんだか狡い。

 

そう都合よく、悪いことは続かないから、嫌になるんだ。

 

ソメイヨシノを見上げた。

 

息をのんで、眺めた。

 

よいこと、かはわからない。

 

それでも、綺麗だと思った。

 

 4/6

 

今週のお題「もしも魔法が使えたら」