東京 closing down

現実とフィクションと楽曲が重なったとき、始まりのエンドロールが走りだす。 Photo by shun nishimu

3秒間のサイエンスフィクション

 

 

仕事の都合で赴いてた渋谷一等地のビルは、外観から小洒落ていた。

 

ただ物を届けるだけという簡単な任務だけれど、それでも入構には勇気がいった。

 

エレベーターもどこかSFじみているし、12階で降りると開放的なフロントには丸とも四角ともつかぬテーブルとイスが幾何学的に並べられ、中央には尖りか丸みかはっきりしない前衛的なモニュメントが鎮座している。

 

すれ違う人も心なしか、人種の違いとまではいわないけれど、人生の充実を感じさせる匂いがするようで、肩身がせまい。

 

そそくさと物を届けて目的を遂げると、逃げるようにトイレへと向かった。

 

そこでも僕は嘆息をつく。

 

小便器は全面ガラスの窓に面しており、その姿勢のまま渋谷の街を見下ろせる作りになっていた。

 

ズボンのファスナーを下ろしながら僕は、改めてため息を一つ落とす。

 

 

ただでさえ、「上から目線」であることはしばしば、忌々しい批判の対象になるのだ。

 

人の上に立つだけで恐れ多いのに、さらにそこから放尿を試みるのである。

 

無礼、愚行、狂気、恩知らず、いや阿呆(あほう)、猥雑だ。

 

上へ上へ、ビルを乱立させるしかない東京の土地柄だ、好きで上に立つ訳ではない、致し方ないではないかと、12階から言い訳を落としてみる。

 

他方、それをデメリットとして捉えず、眺望を楽しみましょうと、居丈高に微笑み提案してくるのがこのビルディングだ。

 

まったく粋な計らいである。

 

眼下にはタクシーがのろりと列をなし、豆粒ほどの人々がてくりてくりと移動している。

 

 

ふむ、と眺めていると、僕が今しがた入ってきた後ろ手の自動扉が開き、ビルのデザイナーが手をこね合わせながらトイレに入ってくる。

 

そして問うてくるのだ、いかがですか、と。

 

腕の悪いテレビディレクターのクエスチョンと似ている。

 

まったくもって具体性に欠け、つまり答えるのが億劫になる。

 

きれいですね、だとか、高いですね、だとか、最高です、なんて言葉を、感動の二文字を顔に貼り付けて呟くことはできる。

 

それでも陳腐は避けられないのだけれど。

 

正直な感想を、と求められれば、やっぱり放尿は気持ちがいいですね、とはにかんで答えるべきか。

 

あれこれ思案していると、ビルデザイナーはこね回していた片方の手でガラス窓をなぞるように示した。

 

 

「もちろん最初は、反発もありました」

 

 

コメディ俳優のように肩をすくめて、ところが、と続けた。

 

 

「ところがです。

いざ完成してみると、見事なものでしょう。

絶景と一口に言っても、何も高所からの眺めだけを指すわけではない。」

 

 

チャックを下ろそうとしている僕の後ろをゆっくりとうろついて、記憶を読み上げるように人差し指を立てた。

 

 

「私のデザインには一貫した美学があります。

日常の中の非日常、そうですね、違和感との同居、とでも呼びましょうか。」

 

 

頭の後ろで発せられる言葉を待ちながら、僕のファスナーは降下をやめていた。

 

人の話を聞きながら性器を露出させるのは失礼だと感じたからだ。

 

 

「私はビルディングデザインを担当するたびに、過去最高だと自負を重ねてきました。

ところが今回のこれは大きく上回る出来です。

エクセレント、コングラチュレイション、マグニフィセント、インクレディブル。

いやはや、次回の自分には、高いハードルを課してしまいましたね」

 

 

そして「マーベラス…」などと呟きながら、恍惚の表情を浮かべている。

 

反応に戸惑う僕を置いてけぼりにして今度は、クリエイティブとは、だとか、イノベーションとは、だとかと、有り難く説いてくれる。

 

鬱陶しいなあという顔をどう読み違えたのか、とはいえ、と語調を変え、外からこちらは見えませんのでご安心ください、なんておどけて見せ、ユーモアの利いた俳優ごっこを続けている。

 

そして後ろで手を組み、僕の左手隣の小便器前に立って、「ファンタスティック…」と呟いて、満足げに下界を見下ろした。

 

全くアンビリーバブルだ。

 

僕は気にするのを止め、ズボンのファスナーの降下を再開させた。

 

 

するとまた後ろの自動扉が開いた。

 

インテリな眼鏡にパーマネント気味の頭髪はジェルで固められ、ギンガムチェックボタンダウンに先の尖っていないネクタイを締めている。

 

オフィスカジュアル特集から抜け出したように長身でスタイルのいい彼は、移動時間もタブレット端末での情報チェックを怠らないITマン。

 

彼が勤めるのは気鋭のベンチャー企業、柔軟な環境でクリエイティブな発想をと、ハイセンスを積み上げたようなビルディングのまさに12階に陣取る。

 

彼はアンニュイに開口した。

 

 

イノベーションっていうのは会議室からは生まれないんですよね。

例えばこうやってあなたと会話を楽しむときにスッとおりてくる。」

 

 

微笑みながら、そしてなぜかティーカップを持ちながら、壁に左肩を預けて足をクロスさせる姿勢も妙に様になっている。

 

ここはトイレであるのに、だ。

 

僕の後ろあたりをゆっくりうろつきながら続けた。

 

「例えばタクシーの車内、新幹線や飛行機での移動時間だってそうなんです。

今までにないモノを生み出すわけですから、同じ環境やルーティンワークの中、固定概念に固執していてはダメですよね。」

 

彼は再び壁に体を預けると、なぜここで、と疑問も出ないほど自然に、ティーカップに注がれた水出しのストレイトティを啜った。

 

そして、人差し指を一本立てる。

 

 

「私が一番無駄だと思う時間っていつだと思いますか?」

 

 

質問に質問で返すのは野暮だと、僕は閉口する。

 

 

「移動中もスマートフォンタブレットは操作できますよね。

そう、トイレなんですよ。」

 

 

立てた指を鳴らしてそのまま僕を指して、それも小便のときです、とご丁寧に股間あたりに向けてくれる。

 

 

「大便は基本的に座っているのと同じですからね、両手は自由であるし、メールやちょっとした書類に目を通すには十分な時間です。」

 

 

着地点を見失った僕はただ耳を傾けた。

 

 

「男性にとって一番無駄で、無防備な時間というのは、小便の時間なんです。」

 

 

睡眠はどうなんだって顔をしてますね、と指摘され、僕の無表情はそういう顔にとられるのかと発見する。

 

 

「たまにミュージシャンが言いますよね、夢でいいメロディが思い浮かんで、起きてすぐに作曲したんだ、なんて話を。

睡眠というのは記憶の整理に大いに役立ちます。

だから睡眠も無駄じゃないし、たしかに無防備ですが、そもそも眠りを襲うのは卑怯、無礼、愚行、狂気、恩知らず、いや阿呆(あほう)、猥雑、いえナンセンスです。」

 

 

自ら前置いて、それをすぐに感情論で否定する態度にはある種の好感を覚える。

 

 

「小便小僧っていますよね、あれも男性で、かつ小便をしているから可愛げがあるんです。

人が何かを可愛いと感じるときは、その対象を少なからず見下しているんです。

つまり、可愛いかはともかく、小便をしている男性は、見下される対象であることに違いありません。」

 

 

僕は驚きを禁じ得ない、という顔をしてみせた。

 

話の枝葉が広大で、その全貌がまったく掴めない。

 

 

「それが仮に、大便小僧だとしたら可愛いなんて思えないですよね、公共の面前で大便を試みる、そんなの恐怖じゃないですか。」

 

 

もはや意図がわからなくなり、僕は頭を抱えたいけど、皮肉にも彼の言う通り、両手は股間でふさがっている。

 

なるほど無防備だ。

 

 

「筋が逸れましたが、つまり僕は小便の時間すら有効に使いたい、そう考えたのです。

この会社を志望したら理由は、単に成長株のベンチャーだったからではありません。

事前説明会でトイレに行ったとき、ここからの景色に衝撃を受けたんです。

同じ環境からはイノベーションは生まれない。

だとすると、この眺めから用を足すことは私にとって尋常ならざる環境であり、こんなイノベーティブなディレクションには脱帽です。

そんなビルディングで働くことに、憧れを抱いたんです。」

 

 

彼もまた恍惚の表情で、デザイナーとは僕を挟んで反対側に立ち、地上を行き交う人々を見下ろした。

 

僕は両隣の存在に辟易して、我に返ってファスナーをつまむ指に力を入れた。

 

 

すると後ろの自動扉が開いて、せかせかとビルの警備員と思われる男が入ってきた。

 

警備員はつい先程までビルデザイナーが立っていたはずの小便器の前に立つと、阿呆(あほう)な表情で用を足しはじめた。

 

無駄で無防備な時間。

 

僕はファスナーを下ろしきった。

 

そして精一杯の阿呆な表情で、ガラス窓から微かに覗く東京の空を見上げた。

 

「どうせなら、もっと上を目指してみましょうか」

 

僕の呟きなんて耳に入らずに、本業を忘れたように警備員は阿呆な表情を咲かせている。

 

「上を目指すために東京に出てきたんでしょう」

 

そう聞こえた気がして、僕は少し考えた。

 

そうなのだ。

 

でも、なぁ。

 

 

でも、阿呆な表情をする時間も、人生にあっていいと思いませんか。

 

そう伝えようと右隣を向いても、そこにITマンの姿はなかった。

 

 

なんてことはない、性器が露出するまでの、3秒間のサイエンスフィクションだ。