東京 closing down

現実とフィクションと音楽。始まりのエンドロール。 Photo by shun nishimu

摩天楼に咲く蓮の花

 

 


手持ち無沙汰にネット配信番組のザッピングを繰り返していると、これぞ深夜番組、といったような企画に出会した。

 


性的交渉経験のない男性、いわゆる“童貞男子”にスポットを当てた番組だ。

 


セクシー女優の誘惑に対する童貞男子の反応を面白おかしく取り上げている。

 


滑稽であると同時に、不器用さが可愛らしくも映り、しばらく眺めることにした。

 


幸か不幸か、俺は性的な交渉を経験済みだった。

 


その体験談は特に面白くもない、ありふれたものだった。

 


初めて付き合った女性と自宅でくつろいでいたところ、なんとなく、下心と雰囲気がうまい具合に調和したので、事を運んだだけだ。

 


話のネタになるほどの情緒もない一幕であったこともあって、他人の特異な体験談を耳にするたびに、羨ましさから「経験済み」というステータスを放棄したくなる。

 


一方で、多感な大学生活では、友人との会話でしばしば童貞であることは嘲笑の対象にもなったものだ。

 

是か非か、自分が経験を済ませていることにほっとすることもあった。

 


画面の中では、手も繋いだことがないという男がセクシー女優を相手にデートの練習をしているところだった。

 


女優の指が触れた瞬間、悲鳴ともとれる声を発し、びくっと体を震わせる様を見て、少しだけ笑った。

 


「未経験」も然りだが、「済み」というレッテルもまた、いつでも心地いいものではない。

 


俺はこの先いかなる努力に勤しもうが童貞にはなれないし、どれだけ牛乳を飲んでも未成年には戻れない。

 


酒も煙草もやったし、雪山を滑降したこともあるし、モザイクの向こう側も知ってしまった。

 


人間は、経験を一方的に重ねてゆくしかないのだ。

 


膨大なマークシートを、ある程度の規則性に則って塗りつぶす。そこに消しゴムなんて用意されていない。

 


一度経験を済ませてしまうと、取り返しがつかないのだ。

 


それらを済ます前には、酔っ払うってどんな感じなんだろう、煙草はおいしいのだろうか、パウダースノーの上を滑り降りると気持ちが良さそうだ、他人に触られるのはどんな気分なんだろう、と、確かにときめきもあった。

 


マークシートを早く埋めたい、早く経験を済ませたいという焦燥感も多分にあった。

 


しかし答え合わせをしてみると、なんだこんなものかと落胆することの方が多かったように思える。

 


だから人は感動を求めるのだろうか。

 


事前の想像を超える体験に心が動かされる感覚を繰り返し求めるのだろうか。

 


歳を経るたびに、感動という体験は少なくなっている気がする。

 


「新食感」と謳われた流行りのグルメも、「どんでん返し」と騒がれたミステリも、なんとなく予想がついてしまうから損だなと、経験則からくる先見に嫌気が差す。

 


そういえば昔、都合の悪い記憶を消してくれるお店を舞台にしたSFがあったな、と、童貞男子のうぶな反応を眺めながら思った。

 


深夜番組では次のコーナーが進行していた。

 


キス未経験の男がラップキスに挑戦する、という趣旨だった。

 


文字通り、サランラップ越しの接吻に挑戦する企画なのだが、しかもその相手というのが、セクシー女優ではなく一般女性なのだ。

 


その童貞男子というのは、顔は特に悪くない、という所見ではあるものの、ファッションやヘアスタイルから陰の気配をぷんぷんと臭わすタイプの男だ。

 


一般女性いわく、「もちろんタイプではないけど、ラップの上からであれば誰とでもキスはできる」らしい。

 


これは全くけしからん、それではまるでアダルトビデオではないか。

 


そのまま母性が芽生え、あれよあれよといううちに、“卒業”までお手伝いしてしまう、という、現実に考えられなくもないリアリティに興奮はするものの、こんなことあるわけがない、と都市伝説のような胡散臭さもある、しかし気にはなるし見てしまう、疑わしきは罰しないタイプの実録系のアダルトビデオではないか。

 


創作もある程度、現実に基づいているのだと察した。

 


ラップキスがOKなら、服の上からであれば胸を触ることも許されるのではないか、なんて考えがよぎったが、内に留めておくことにした。

 


時計を見ると、そろそろ日付が変わろうかという頃だった。

 


寝るにはなんだか惜しい気がして、平日には床に就いているところ、もうしばらく起きていようと台所に立ち、紅茶を淹れた。

 


睡眠にはゴールデンタイムなるものが存在するらしい。

 


諸説あるようだが、おおよそ22時から2時までに深い眠りが得られると、成長ホルモンの分泌であるとか、老化防止、美容面においても良しとされているのだとか。

 


ゴールデンタイムに眠ることが健全であるとすれば、東京という街はすこぶる不健全だ。

 


現在の勤め先である渋谷も、特に睡眠が必要そうな若人が、ゴールデンタイムに生き生きと活動している。新宿ほか、都心は然りだ。

 


別の意味でのゴールデンタイムが暗躍する、そんな東京の中でも眠らない街の代表格が、六本木だ。

 


上司に連れられて初めて六本木に足を踏み入れたのが上京して一年が経った頃だった。

 


カラオケスナックではママにえらく気に入られ、好まないウイスキーの水割りを次々に注がれ、ふらつきながら浜田省吾を歌うと知らない客が指笛を鳴らした。

 


客同士で肩を組んでサザンのメドレーを歌い回した。

 


その客のなかにフリーで活躍するアナウンサーの姿を見つけたときには、ここが六本木か、としみじみ感じたものだった。

 


スナックを出ると、上司行きつけのラーメン屋に連れて行ってもらった。

 


六本木の顔、東京ミッドタウンの真向かいのビルにラーメン屋は構えていた。

 


店内は狭くも広くもないといった雑感、カウンターとテーブル席のつくりで、テーブルには男女三名が一組、カウンターもまばらに埋まっていた。

 


テーブルにつくなり上司は、ここには醤油と味噌しかない、と口を開き、さらに、

 


「味噌を頼むと怒られるから気をつけろよ」と耳打ちしてきた。

 


ここには醤油と味噌しかなくて、味噌を頼むと怒られる。

 


アルコールが回った頭でなんとなく理解しようとしたが、どうにも腑に落ちなかった。

 


上司は机の上を滑らせ、ラミネートされたメニュー表を寄越してきた。

 


覗いてみると、どうやらラーメンの注文の仕方が書かれているようだった。

 


一、麺硬く

二、麺やわく

三、油こく

四、油うすく

五、しょっぱく

六、しょっぱ薄く

 


なるほど、これで好みの味を伝えるのか。

 


俺は麺は柔らかい方が好みだったので、となると「二」か、なんて考えていると、それを見透かしたように上司が忠告してきた。

 


「一三五がこの店だと普通だ。間違ってもそれ以外頼むなよ」

 


一三五といえば、麺硬く、油こく、しょっぱく、だ。

 


店側から指定してくるならば、なぜこんなメニュー表があるのだ、と疑問に思ったものの、続けざまの言葉には閉口するしかなかった。

 


「二四六を頼むと怒られる」

 


なんだっていうのだ。

 


醤油と味噌があって、味噌を頼むと怒られる。

 


一から六まで好みを指定できるが、二四六を頼むと怒られる。

 


無茶苦茶じゃないか。

 


「俺も昔一回だけ、一四六で頼んでみたことがある」

 


「どうだったんですか」

 


「できねぇ、って」

 


なんだそれは、なんなんだ。

 


ますますメニュー表の意味がわからない。

 


最初からメニュー表も掲げず、醤油の一三五だけを提供すればいいじゃないか。

 


できねぇ、ってなんだ。

 


そんなのあんまりじゃないか。

 


整理が追いついていない俺を横目に、上司は当然のように注文を始めた。

 


「大将、醤油一三五を二つ頂戴」

 


「あいよ、醤油二丁」

 


不思議なラーメン屋だった。

 


十分ほどすると、二つのラーメンが運ばれてきた。

 


麺固く、油濃く、しょっぱいラーメンをまさに体現した豚骨醤油系だった。

 


まずはスープ、と粋がって口へ運ぶと、見た通りの濃厚さに思わず唸る。

 


天下一品のラーメンを初めて食べたときの記憶が蘇りつつ、しつこい、という表現がよく似合うスープだった。

 


口の中の水分がほとんど持っていかれるほどだが、旨い。

 


スープはちぢれ麺によく絡み、チャーシューの薄味が好相性だった。

 


それにしても、喉が渇く。

 


喉が乾くのに、スープを啜りたくなる。

 


湿地に咲く蓮の花のように、泥濘みをかき分けてでも手にしたい何かがこのラーメンにはある。

 


大将もラーメンも、一癖も二癖もあるが、醤油一三五には客を惹きつける確かな魅力があった。

 


完食も間近にした頃、キャバクラ勤務風の女が二人来店してきた。

 


どうやら初来店のようだった。

 


なんとなしに耳を傾けてみると、「なにこれ、数字あるんだけど」と早くも難関に差し当たっている。

 


どうするのかと様子を見ていたところ、すみません、と注文を始めた。

 


「醤油ラーメンの、二、四、六を二つで」

 


なんということだろう。

 


女性であれば、麺は柔らかく、油少なめで、しょっぱすぎないであろう二四六がいいというのは理解でき、なにより初見だ、無理もないだろうと同情の念を抱いた。

 


白髪の大将はぶっきらぼうに返すのだった。

 


「できねぇよ」

 


え、と戸惑うようにしていたキャバ嬢だったが、すぐに調子を取り戻し、

 


「でもここに書いてんじゃん」

 


「できねぇ、不味いから」

 


なんということだろう。

 


できねぇ理由は、不味いから、である。

 


理にかなっているような、そうでもないような、歯痒さが残る。

 


「いいじゃん、二四六で作ってよ」

 


「できねぇよ」

 


「濃いの苦手なの」

 


「薄いと不味いぞ」

 


「あと麺も柔らかい方がいい」

 


「硬ぇ方がうめぇよ」

 


「いいから二四六お願い」

 


可笑しな押し問答が続いた。

 


その末、ようやく大将が折れたようだった。

 


「知らねぇからな。クソ不味いの二丁」

 


三癖もある大将だった。

 


以来あのラーメン屋には足を運んでいないが、相変わらず濃いラーメンを提供しているのだろう。

 


ふっと意識を戻すと、とっくに深夜番組は終了していた。

 


どうやらうとうとしていたようだ。

 


またあのしつこく旨いラーメンを食いたいなぁと、ゴールデンタイムの誘いに身を委ねた。