東京 closing down

現実とフィクションと楽曲が重なったとき、始まりのエンドロールが走りだす。 Photo by shun nishimu

NOT FOUND 6/30 8:42


煩わしいアラーム音に苛立ちを感じながら、重たい瞼をうっすら開ける。

時刻は8:30、目覚めるには理想的な時刻だと毎晩認識して眠りについているはずだが、数時間後にはそれを真っ向から否定する。

 

夢と現実との境界線が曖昧なまま枕元のスマートフォンを手に取り、昨晩のうちに溜まった通知を消化していく。

会話途中だった友人からの返信、開封だけして確認しないメールマガジン、アラームの作動履歴。

 

「タバコが美味いのは、食後と起き抜けだ」

 

いつか友人と話をしたことがある。

それを有言実行するように、多少時間が無い朝でも、俺は起きて一番に煙草を吸う。

駅のホームで電車を見送るたび、あの一本を我慢していれば、と後悔するのだが、走れば間に合う日もあるので辞められない。

 

煙草を吸いながら、台所に置いた安物の鏡で寝起きの間抜けな顔を確認する。
そろそろ髪を切らないとなあと、ぼんやり考える。

 

 

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3月に広島で切って以来だから、かれこれ3ヶ月以上生えっぱなしであった。

わざわざワックスを付けて頭髪を整えることが面倒くさく、広島ではいつもキャップをかぶって出かけていた。

 

一方アルバイトとは言ってもこちらでの勤務先はスーツの社員がその大半を占め、Tシャツを着て出勤することも憚られる環境であるから、もちろんキャップなんて被ることはできなかった。

 

仕方なく失礼のない程度に髪の毛を整えていたが、さすがにワックスだけでは収集がつかないと感じ始めた頃、土日だけ出勤している宅配寿司屋が気を利かせたように余裕のある出勤時間でシフトを組んでくれていたので、次の日曜、そのタイミングで切ることに決めた。

 

もちろん、散髪に五千円も払う気なんて俺にはない。

払えないことはない。これを言えば友人である美容師Fにはいつも怒られるのだが、ただ髪を切ることにその値段を出すのが嫌なのだ。

 

さらに言えば、俺は過去それこそカット4,5千円の美容室に通っていたが、美容師さんの文字通り腕をふるったオシャレなヘアースタイルも二三日も経てばいつもの見慣れた髪型に落ち着き、ワックスを付けることも敬遠し、楽だからとキャップばかりかぶっていたのだから費用対効果の面で言えば最悪だ。

 

そんな理由から去年辺りから千円カットを利用することが増えた。
増えた、とは言っても早くて2ヶ月に一回ペースで髪を切るからそれほどでもないのだが。

 

数日前、会社の先輩にそんな話をすると、

「まあアメちゃん食べな」

とアップルの飴玉をくれた。

先輩は事あるごとに俺にアメちゃんをくれる。

アメちゃん舐めれば何とかなりますかねと、俺はそれを受け取った。

 

そして会社を定時で退社すると、俺は某養成講座を受講するため表参道に向かった。

渋谷にある会社から歩いて三十分程度だ。

特に意味は無いが俺はいつも早歩きで、予定より早く到着することに達成感を感じていた。

 

その日も、だらだら交わる人混みをすり抜けながら、俺は早歩きで会場に向かっていた。

ちょうど青山通りに差し掛かったところで、”クラウザー”と名乗る美容師から声をかけられた。

 

俺は最初彼女の存在に気づかなかったのだが、こちらを覗き込みながら平行して歩く人影を視界の隅に認めたので、一瞬ぎょっとした。

どうやらこの女性は俺に話しかけているらしいと気づいたが、良からぬ勧誘の類だろうとイヤホンで耳を塞いだまま早歩きを続けた。

 

ところが数メートル歩いても彼女は何か喋りかけてくる。

これはただならぬ事態だと胸騒ぎを感じ、片耳だけイヤホンを外した。

 

 

「こんにちは」

 

 

俺は耳を疑った。

 

まさかこいつはこの数十メートル間、俺に「こんにちは」と語り続け歩いてきたのか?

これは想像以上にヤバイ部類の勧誘だ。

 

 

「私この通りの裏のほうで美容師をやってるクラウザーっていうんですけど」

と彼女は続けた。

 

俺は目を疑った。

 

さすがに本名がクラウザーでないことは俺にも理解できた。

しかしクラウザーの名が与えられるということは、それなりの所以もあるはずだった。

 

俺は記憶を辿った。

 

まさか、”餓狼伝説”シリーズに登場するヴォルフガング・クラウザーか?

確かヴォルフガングは身長2mを超えていたはず、違うか…しかし裏社会を牛耳る闇の帝王であるだけに、凄まじい戦闘能力を持つ。

その能力をかわれてクラウザーの名を?まさか…。

 

それとも、”バイオハザード”シリーズに登場するジャック・クラウザーか?

ジャック、数々の戦場で武勲を立ててきた優秀な兵士だ。

ナイフの達人。後に、より強くと力を求め、自ら寄生生物を取り込んだが死亡…。違うか…。

 

どちらにせよ、白兵戦の能力は計り知れない、こいつは強いと、胸騒ぎが確信に変わった。

正面から向き合っては駄目だ、歩みを止めることなく、右耳だけで声を受け取り、残りの全神経を周りに注ぎ、何か武器になるものはないかと脳内でシミュレートする。

 

「私の美容室では、特にくせ毛の方を専門的にやらせていただいていて、」

 

 

こいつッ!!??!!

 

恐るべき洞察力だ。

ほんの数十メートル平行して歩いただけで俺のくせ毛を言い当てただと?

なるほど、まずは相手を分析し、弱点なりを把握した上で仕掛けるタイプか、さすが数多の戦場を生き延びてきただけはある。

 

しかしそう俺もアマではない、この手の相手には慣れている。

 

「ちなみに普段お幾らくらいで切られてますか?」

 

 

ッ!?!?!?

 

こいつ…まさか俺が普段千円カットで散髪していることがわかるのか?

いや、これは陽動かもしれない。

ここで俺が狼狽した隙にナイフで一突き…、大した戦術だ。

 

しかし俺もそうアマではない。

 

「あー、4,5千円ですかねー」

 

何でもないことのように、早歩きをやめないまま俺は言った。

 

「そうなんですね~、ちなみにうちではカット6千円なんですけど」

 

なんッ!!だとッ!!!???!?!?

 

その質問から、少なくとも俺は

「うちは3千円です!安いでしょ!」

程度の返答を期待していたのにも関わらず、悠々たる口調でそれを越えてきた。

 

もしかすると俺の考えていた相場は東京では通用しないのかも知れない。

そもそも髪の毛を切っていただく対価が千円ポッキリなんて考え自体が間違っていたのかもしれない。

 

俺は急に恥ずかしくなり、

 

「ほ〜」

 

そう返事をするのがやっとだった。


するとクラウザーは歩きながら、俺の目から視線を逸らさないまま、ゆっくりと、右手をポケットに入れた。

 

 

それを見て俺も、何故かわからないが、視線を外さぬまま、ゆっくりと左手をポケットに入れた。

 

本当に何故かわからないが、防衛本能に似た、反射に近い感覚だった。

 

そしてほんの一瞬だが、相手の目にわずかな緊張が走ったのを俺は逃さなかった。

 

武藤遊戯なら、ここで起死回生のクリボーをドローし、滅びのバーストストリームを凌ぐはずだ。

 

もちろん左手が掴むのは、さっき会社の先輩がくれた、アメちゃんだ。

 

俺は焦りを悟られぬよう、ニヤニヤとポケットの中でアメちゃんをいじくり回した。

 

時間にして3秒ほどだが、永遠にも似た息苦しさを感じた。

 

クラウザーがゆっくりと右手を引き抜く。

 

 

引き出された手にはカードが握られていた。

彼女はカードに何やら書き込むとそれを俺に渡し、

 

「よかったら来てくださいね」

 

と息を乱しながら俺から離れていった。

 

気がつけば随分と遠くまで歩いていた。

彼女はおそらく新人だろう。

スタミナが足りてない。



渡されたカードには、下記のような記載があった。

 

f:id:tatakuchan:20160707003419j:plain

 

”クラウザー”とは彼女の呼ばれ名だろう。

そしてその横の”¥4000”とは恐らく、ご来店いただけますとこちらの値段で承ります、の意だ。

 

せこい俺は千円と言えばよかった、と少し後悔した。

 

そんなこと言おうものならカードには

”¥1000(笑)”

と書かれ、更にそれを持参して店を訪れようものなら店内プギャア必至だ。

 

舐めるな!と悔しさに身を任せその場を駆け出したが歩行者信号は赤に変わり、すぐに立ち止まることになった。

 

ビル間から覗く夕刻の空を仰いだ。

 

「今日もNOT FOUND、NOT FOUND」

 

イヤホンの中の声に重ねて、呟いた。


 

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気がつけば煙草はだらしなく灰をかかえ、台所には所在無げにゆらゆらと紫煙が漂っていた。

 

そろそろ準備をしないとまた乗り遅れてしまう。

 

ほとんど燃え尽きそうな煙草を惜しむように吸いこみ、フィルターの焼ける臭いに顔をしかめた。

 

一年後の俺はちゃんと散髪できているのだろうかと不味い煙を吐き出し、不安を打ち消すようにほとんどフィルターだけの煙草を丁寧にもみ消した。

 

8:42