東京 closing down

現実とフィクションと音楽。始まりのエンドロール。 Photo by shun nishimu

closing down - 2 『ブラックアウト』

 

 

飛び交う記憶と黒い雲 砂漠に弾けて消える

光るプラズマTV 来たる未来の映像


降り止まぬ雨は軒先で 孤独に合わせて跳ねる

ボタンひとつで転送 来たる未来を想像する


321 情報が錯綜 真実を知らない

現状と幻想の誕生 明日とその足音

321 感情の暴走 現実は逃げたい

想像と妄想の混同 掃いて捨てるモノ


今 灯火が此処で静かに消えるから

君が確かめて

ただ立ち尽くす僕の弱さと青さが

日々を駆け抜ける

 


***

 


「V明けまで五秒前、四、三、二」


とあるバラエティ番組の収録中。


カメラの下にしゃがんだトラジが、カンペを掲げる。


「はい。素敵なご夫婦でしたが、犬井さん、いかがでしたか」


「いやー結婚っていいなって、改めて思いましたよね」

 

主演ドラマの宣伝のためゲストとして招かれていた俳優の当たり障りの無いコメントに、司会者は満足気に頷く。


「そうですよね。荒木なんかどうよ、独身女芸人代表として」


「誰が独身女芸人代表ですか!でも心が温まりました、やっぱりいいですね」


全て台本だ。


芸人にも、アドリブは求められない。


収録番組であればまだいいが、生放送ともなれば徹底的に台本が推敲される。


下手な発言をしてしまえば、ネットユーザーのいい餌だ。


放送作家が考えた台本を基に、プロデューサー、ディレクター、編成部の人間らが集まって何度も会議をする。


確かに番組は真剣に作り込むべきだ。


だけどここまでやると、作り手としても本当におもしろいのか、不安になってしまう。

 

一体誰に怯えて、誰のために作り込んでいるんだ。

 

テレビは、誰の為にあればいい?

 


”笑撃王決定戦”から一週間、トラジは悶々としていた。


久しぶりにあんな漫才を見た。


いつからかテレビでは、先の俳優のように、当たり障りのない芸ばかりが披露されるようになっていた。


意識するよりもずっと奥の方で、トラジは日々に物足りなさを感じていたのだろう、友人からお笑いライブの誘いを受けたとき、すぐにスケジュール帳を開き、予定が入っていないことを確認した。


その一方で、懐疑的な思いがあったのも確かだ。

 

テレビで見るような芸人達ならば、敢えて金を払ってまで観に行く価値があるとは思えなかったのだ。

 

加えてライブ当日にその友人から、都合が悪くなった、という一報も受けた。

 

“地下”で行われるお笑いライブに一人で足を運ぶのは、テレビマンとしての自負だろうか、何故だか気が重く、平日の夜のその当日、意味もなく残業に勤しんでいた。


そうしていると件の友人から、感想聞かせてくれよな、とメッセージが届いたから、トラジは仕方なく、といったように重たい腰を上げたのだ。

 

開演時刻はとっくに過ぎていた。


冷やかし半分、怖いもの見たさと若干の期待で開いた鉄のドアの先、トラジはある種のショックを受ける。

 

脳裏には、テレビ画面に映るマリオンズの姿があった。


あれがお笑い芸人だ。


トラジは入り口に突っ立ったまま、その場から動けなかった。


彼らのような芸人が、まだ存在している。


彼らのような芸人が、地下でくすぶってしまっている。


彼らのような芸人が、正当に評価されるべきである。


それは、海底でしか生きられない魚をイメージさせた。


彼らのような芸人は、地下でしか生きられない。


彼らのような芸人は、この時代で生きていけない。


揺るぎのない、絶対的な障壁が、彼らを拒む。

 

テレビ屋であるトラジには、分かってしまう。


存在を知っておきながら、どうすることもできない、圧倒的な無力感に、打ちのめされていた。

 


「トラジ、撮れ高は十分だ。そろそろ締めろ」


インカムから指示が飛んでくる。


ふと我に返り、カンペを捲って司会者に示す。


「まぁいろんな人がいるっていうことですよね」


「ちょっと、その締め方はないでしょ」


観覧の客席から笑い声が起きる。


彼女たちは心から笑っているのだろうか。


疑問に抱く人はいない。


「本日はありがとうございました。それでは、また来週」


スタジオが拍手で包まれる。


トラジは拍手をしながら、煮え切らない思いに苛立っていた。

 

いつまで、こんなことを続ければいいんだろう。

 

ただ立ち尽くす僕の弱さと青さが、日々を駆け抜ける。

 


***

 

 

そう遠くない未来、東京のありふれた夜。


コンビニの前には若者が二人、縁石に腰かけている。


その一人、小澤は舌打ちをこぼして缶ビールを呷ると、深くため息をついた。


「折れるしか、ないのかな」


そうこぼす小澤の横に座って、国貞は察するように缶ビールを傾けた。


「折れるしか、ないのかもな」


高校の同級生だった国貞と小澤は、お笑いコンビ「イモ」として活動していた。


コンビ名の由来は、「アホっぽいから」というもので、こだわりの欠片もない。


地元の広島を飛び出して、結果を残せないまま一年、また一年と、時間だけが経っていた。


そして先週、ルーティンワークのように出演していたお笑いライブ“笑撃王決定戦”で三位に入賞したのだった。


とはいえ、”地下”で行われるそのライブでの三位という結果は同時に、地上では通用しないということも証明していた。


ショーシャンク刑務所のアンディよろしく、こっそりと、こつこつと、尖らせておいた刃で壁を掘り進め、この地下からの脱出だけをモチベーションに、舞台に立ち続けていた。


ところが、このままやっていたのでは、先が明るくないことは明らかだった。


「媚びた笑いは好きじゃない。それをやるくらいなら、芸人を辞めた方がマシだ」


小澤の言う”媚びた笑い”というのはつまり、昨今のテレビ事情を鑑みたものだ。


2000年を基点にした前後の時代には、幾度かお笑いブームが起こった。


ダウンタウンとんねるずなどを台頭にブームが起きた際、マスコミは彼らを「お笑い第三世代」と呼んだ。


そしてお笑いBIG3を主軸とする1980年前後を第二世代、さらにその前、ドリフターズ桂三枝らの演芸ブームを第一世代とした。


(第一、第二世代に関しては、当時メディアからそう呼ばれていたわけではなく、あえて世代別に区分化した際のレトロニムである)


その後も第四、第五、第六世代とメディアは仕掛け、お笑い芸人も奮闘したが、後の世で「レジェンド」と呼ばれるには至らなかった。


そしてこの時代、本来であればお笑い第何世代なのか、恐らく日本のお笑い史史上最も芸人にとって不遇である世代。


ネットの意見とはすなわち視聴者の意見であると、匿名性を楯にしておきながら、大いに尊重すべきだという声が大きくなったのだ。


テレビが民衆を操作する時代は終わり、民衆がテレビを操作する時代へと変容していた。


それまで右肩上がりに増え続けていたお笑い芸人は、二度目のバブルの崩壊と共にその大勢が淘汰された。


降下を続ける日本経済も相まって、芸人のネタ番組を放送するたび、不謹慎、自粛せよ、などの言葉が飛び交い、次第にお笑い芸人の露出が減っていったのだ。


2010年代末に流行った、”視聴者いじり”の毒舌ブームは終息し、誰が見ても、誰も傷つかないような、動きや音を使った分かり易いネタが芸人には求められた。


そうして勝ち残った芸人を、懐古的な芸人たちは皮肉を込めて「ハッピー芸人」と呼んでいた。


芸人は生き残るために、ハッピー芸人に傾倒するか、消えるか、という決断を迫られていた。


小澤の葛藤は、手に取るように理解できた。


「言うまでもないけど、それは俺も同感だ。媚びたくはないし、折れたくもない。ハッピー芸人になり下がるつもりは毛頭ない。でも今のままじゃあ、俺たちは一生地下暮らしかもしれない」


「それでもいい…それでもいいと思える恋だった」


「怖いくらい覚えてるんだよな。わかるわかる」


「うるう年ヒィーア」


それだけ言うと小澤は大袈裟に、がっくりとうなだれた。

 

国貞が缶ビールを飲み干すと、コンビニカラーの自動清掃ロボットが寄ってきた。

 

空き缶を差し出すと、短い三本の指で器用に摘んで見せる。

 

「ご協力ありがとうございます」と女性店員の声が再生されると、缶をぐしゃりと潰して体内に取り込んだ。

 

可愛く見えて、結構えぐいことすんのな。


それを眺めながら、元気出せと小澤の肩を叩いて、ふと思い出して尋ねた。


「そういえば、津崎さんって知ってるか」


小澤はうなだれたまま、顔も上げずに答えた。


「ヘルニア地獄ヘルズの津崎さんか。もちろん知ってる」


「知ってたのか」


「コンビ名が強烈過ぎてね」


「イモよりも酷い」


「その津崎さんがどうした」


「亡くなったらしい」


「なに」


「津崎さんが亡くなった。つい最近だそうだ」


「冗談だろ」


「冗談抜きだ」


「世間がまた一人、無責任な非難で若者を殺したのか。時代がまた一人、未来ある人民を殺したのか」


「社会は無慈悲だよ」


「くそったれ、世界は狂ってる、世の中が、腐ってやがる」


「その通りだ」


「誰にやられたんだ」


「ゲロ詰まらせて窒息死だと」


「自業自得じゃねーか馬鹿野郎」


「死人になんてこと言うんだ」


「どうせならヘルニアで死ぬべきなんじゃないのか、どうなんだ」


「お前地獄に落ちるぞ」


「それでもいい、それでもいいと思える恋だった」

 

「怖いくらい覚えてるんだよな」

 

「四年に一度アァーイ」

 

小澤はラッパーのつもりだろうか、奇怪なポーズをしている。


国貞は見えないふりをして、ポケットからしわのついたメビウスを取り出した。


火を付けて一口吸い込み、空に吹きかけた。


「津崎さん、中学の先輩だったんだ。いろいろ世話になった」


「そうか」

 

小澤はポーズを止め、少し目を伏せた。


そして人差し指を立てて示した。


国貞は黙って煙草を一本やる。


「その、なんだ、地獄の人たちの、津崎さんの相方って人は知ってるか」


「ヘルニア地獄ヘルズな。相方は葛木って人だ。前にオークラ芸能の懇親会があって、ちょっと話したんだ」


オークラ芸能とは、オリンピック以降に立ち上げられた若い芸能事務所だ。


ふらりと街中に出かけては独自の基準で素人をスカウトし、幾度も一流俳優に成長させた実績を持つのが、社長の大倉一誠だ。


俳優に限らず声優、マジシャンに至るまで幅広く抱えており、界隈では最も勢いのある事務所と言っても過言ではない。

 

一流に成長するかはともかく、もちろん、芸人も多く在籍している。

 

面倒見のいい大倉の方針もあって比較的待遇も良く、芸人の間では羨望の的にされる事務所だ。

 

余談だが、そんなオークラになぜヘルニア地獄ヘルズが在籍しているのか、地下芸人の七不思議の一つとして数えられている。


「小澤がなんでオークラの懇親会に呼ばれるんだよ」


「大倉社長、うちの従兄弟の同級生でさ。俺が芸人やってるって聞いたらしくて、声をかけてもらったんだよ」


国貞と小澤は現在、事務所に属していなかった。


実は昨年までは大手の芸能事務所に所属していたのだが、社長の方針と折り合いが合わず、自ら身を引いたのだった。


今の時代、事務所があろうがなかろうがテレビには滅多に出れないなら、羽伸ばして自由にやろうや、と、二人は当面フリーで活動することを決めていた。


「津崎さんも葛木さんも、人はいいんだけどな。芸人としては鳴かず飛ばずだ」


国貞は、中学時代を思い返した。


あの日は、蝉が鳴いていたから、夏だったんだろう。

 


放課後には習慣のように、通学路にある駄菓子屋の駐車場にたむろしていた。


二十円のゼリーを凍らせた駄菓子を食べていると、当時三年生だった津崎さんが親父から拝借したと、釣り竿を抱えて来たことがあった。


背は高くないが筋肉質でがっちりしていて、口調は荒いが優しかった津崎さんに、刃向かう人はいなかった。


永井と、他に二人いただろうか、皆そのまま自転車で近場の川に行って、食パンを餌に釣りをして遊んだ。


その内、思うように釣れないことに飽きてきて、同級生の一人が制服のまま川に入って泳ぎ始めた。


国貞も来いと、誘われるまま、川に入り込んだ。


傾き始めた陽が川面を跳ね、綺麗だった。


最初は濡れる制服が気持ち悪くて躊躇していたが、水を掛けあっているうちに楽しくなって、もっと深い場所を目指そうと、川の中央を目指した。


同級生は泳げないことを理由に躊躇した。


泳ぎには自信があったので、得意げに煽ったりしながら、泳いだ。

 

泳いでいる時には気付かなかったが、川の流れが思ったよりも早かった。


中腹で立ち止まろうとしたのだが、川底の石が藻でぬめっていて、踏ん張ろうにも足が滑ってしまう。

 

水流が身体を押し、足をさらっていこうとする。

 

ちょうど首のあたりまでの水位で、同級生に呼びかけようとするたび、足は滑り、口の中に水が流れ込んでくる。

 

水に揉まれながら頭の中では、聞き覚えはあるが思い出せない曲が流れていた。

 

今なら分かる、あれはシューベルトの“魔王”だった。


これは本当にまずいと、「助けて」と絞り出すように声をあげた。


水中と水面を行き来しながら、いろんな感情を見た。

 

苦しい。


死にたくない。


自分に気付かず楽しげに遊んでいる同級生が羨ましい。


どうして俺が。


走馬灯を見る余裕も無いじゃないか。


お年玉使い切っておけばよかった。


苦しい。


悔しい。


死にたくない。

 

真っ先に気付いたのは、まだ釣りをしていた津崎さんだった。


国貞、と叫び、釣り竿を投げ出して川に飛び込むと、真っ直ぐに中央まで泳ぎ、もがく身体を抱えた。


「落ち着け!」


半ばパニックの状態でも、津崎さんは腕を引っ張って力強く、岸に向けて泳いだ。


そのまま、川べりに引き上げられた国貞は、嘔吐するように水を吐いた。


「大丈夫か」


「はい、すみません、ありがとうございます」


咳き込みながら、動揺しながらも、助け出してくれた津崎さんに心から感謝した。


「俺が水泳習ってなかったら、お前死んでんぞ」


津崎さんは肩で息をしながら、笑った。

 


「あの津崎さんが借金まみれか」


何となく、寂しい思いだった。


もう亡くなっているという事実は、何となく現実味がない。


東京にいることを知っていたのだから、会っておけばよかった。

 

記憶の中で津崎さんは、まだあの夏、眩しい川辺でびしょ濡れになったまま、笑っている。


「いや、借金があったのは葛木さんだ」


「葛木さん?」


驚いて聞き返した。


「そう。津崎さんはむしろ堅実だよ。結婚を考えてた彼女さんがいたって言うから、貯金してたくらいだ」


借金があったのは葛木さんだった?


国貞は煙草を咥えた。


そしてライターを持ったまま、考え込むように固まった。


小澤はその様子を見ながら、尋ねた。


「津崎さんが借金まみれって、誰に聞いたんだ」


「葬儀で葛木さんが言っていたらしい」


国貞が咥えていた煙草を取り上げると、小澤は火を付けた。


「葛木さんが?おかしいな」


「それは確かなんだろう?借金を抱えていたのは津崎さんではなくて、葛木さんっていうのは」


「たぶん、な。その懇親会で、津崎さんと二人で喋った時に、愚痴っぽく言ってたから。芸人で売れてないのにろくに働きもしないで、毎晩飲み歩いて、挙句にパチンコ好きなんだとよ。パチンコにはまっちゃだめだ」


永井から聞いた通りだった。


ただ一つ違うのは、それが津崎さんのことではなく、葛木さん自身であるということだけ。


確かに、おかしい。


煙草を取り出そうとして、さっきのが最後の一本だったことに気が付いた。


「他人から取り上げた煙草はおいしいか」


「背徳感で最高だ」


睨む国貞に見向きもせず、小澤は旨そうに煙草を吸って見せる。


「知ってるか。ここはコンビニの前だ。二十歳以上は煙草を買えるらしい」


「二十歳以上でも金が無い人間には売ってくれないらしい」


「この前給料日だったじゃないか。何で金が無い」


「金をとられた」


「くそったれ、世界は狂ってるな、世の中が、腐ってやがる」


「その通りだ、社会は無慈悲だ」


「誰に金をとられた」


「玉が飛び出る機械にはめられた」


「パチンコじゃねーか馬鹿野郎」


「嗚呼!」