東京 closing down

現実とフィクションと音楽。始まりのエンドロール。 Photo by shun nishimu

羊、吠える 7/1 14:28

 

何でもない平日の昼下がり、俺は”牛めし並”の食券を持って入口近くのカウンターに腰掛けた。

日本生まれではないであろう女性の店員は中途半端な量の水を無愛想に置き、

「ギュメシナミ」

と片言の呪文を厨房に向けてぶっきらぼうに伝える。

 

ちぎられた半券を眺めながら、三ヶ月前、入社した当時のことを思い返していた。


 

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今でこそ昼食には松屋で牛丼を食べているが、上京当初は本当にお金がなかった。

少しでも食費を浮かそうと、朝炊き上げた安くて粗いお米を握り、会社に持参し、昼休みにそれを食べた。

定食屋に通う社員さんもいれば、奥さんの作ったお弁当を食べる人、コンビニで済ませる人もいたが、自分で握ったオニギリを食べる人は見なかった。

 

だから俺はいつも、出来るだけ美味しそうにオニギリを頬張る。

まるでオニギリが大の好物かのように。

逆に、なんでみんなオニギリ食べないの?と、さもマジョリティーは自分にあるかのように。

 

当然、俺を羨む人間はいなかった。




俺は通勤の際に薄い生地のトートバッグを使っている。

鰹節と醤油をあえた具が入った簡素なオニギリは、肩掛けした背中にじんわり温もりを感じさせた。

母親や恋人の握ったものだったら少しは微笑ましく感じるであろうそれを冴えない青年がこさえた瞬間、

はやく冷めてくれませんか。

とスパルタ式にきつくあたってしまう。


電車会社は電車内において、周りの乗客の邪魔にならないようにとリュックの類を前に背負うように呼びかけている。

それに倣い、俺もバッグを前にかけていたが、一つだけ不都合があった。


オニギリのあるポジションが、必然的に股間の辺りに位置してしまうのだ。

当然、股間はオニギリの熱を感じ取ってしまう。

 

俺が温もりを感じる分にはまだいい。


しかしここは満員電車。

嫌でも他人と密着してしまう。


目の前に女性が立った場合はいつもヒヤヒヤする。


なんせ女性からしてみれば、生温かい柔らかいナニかを腰あたりに押し付けられることになるのだ。


恐怖以外の何者でもない。

おれはいつも「ちがうよ!ちがうよ!」と、何もやましいことはないと、どうか怖がらないでくれと、胸の中で念じる。


痴漢に間違われないようにといつも両腕を上にあげているが、もはや事態はもっと深刻で、痴漢では形容できない程の大罪を俺は犯しているのではないかと、イエスに懺悔する。


そうして人に揉まれ、オニギリは形を無くしていった。



 

満員電車にモラルはほとんどない。
 
 

一般企業の始業時間はだいたい9時か10時であるから、そこに人が集中するのは至極当然の事だった。

 

伴い、車両は11両編成、五分未満の間隔でダイヤも組まれている。

出来ることはやったと、電車会社の疲れた声が聞こえてくる。


それはスーパーでたまに見かける「袋詰め放題」でのおばさんの様を喚起させた。

もはや袋としての機能を果たしていないそれにまだ野菜を載せようとするかの如く、はちきれんばかりに電車には人が詰め込まれていく。

 

ある種のランナーズ・ハイだ。

既に満員の域を超した状態で電車は走る。

早く着いてくれと願いながらも、各駅停車はやはり、律儀に各駅で停車する。

 

到着時、誰も降りない場合は最悪だ。

 

只でさえ寿司詰め状態の車内だ。

しかし人にはそれぞれ都合があり、この電車に乗るしかないのだ。

 

駅に着きドアが開けば、恵方巻きのように様々な人が詰まっている。

ホームで電車を待っていた人間は、誰も降りないことを確認すると、まるで能面のような表情で、そうすることしかプログラムされていないロボットのように、背中から車内に侵入を試みる。

ドア間際に立っていた人はと言えば、やっぱ乗りますよねと、絶望を煽り、諦め、達観し、清々しい表情さえ浮かべて、流れに身を任せ押し込まれていく。

 

もちろん慣れていない人にとっては混乱の連続だ。

どの駅でどれだけの人の乗り降りがあるかも把握していないのだから、その状況に応じた行動が遅れてしまう。

 

例えば京王井の頭線においての”神泉(しんせん)”は顕著だ。

 

俺も毎朝降車する駅だが、渋谷駅の一つ手前に位置する神泉は、急行渋谷行きでは停車することがなく、各駅停車でないと降りることができない。

しかし一駅手前なだけあって、同じ渋谷出勤でも神泉で降りたほうが近い人も多くいる故、隠れた便利駅でもある。

上京間もない俺のような人間にしてみればそんな事情は知るはずもなく、”各停=人気ない”イメージがあるから面を食らってしまうのだった。

 

その日、相も変わらず満員の車内でおれは比較的ドア近くに陣取り、中年が読む少年ジャンプを後ろから一緒に読んでいた。

トリコを読み終わり、「〜でそうろう」と喋る師範が登場する連載に差し掛かったところで、アナウンスが神泉に到着することを告げた。

 

特に面白くはなかったがなんとなく続きが気になったまま、ふとドアの方に目をやれば、自分の母親くらいの年齢の女性が吊革を握れず揺れる車内でふらふらとしていた。

そのまま電車は駅に到着した。

 

停車し、やっと安定を取り戻した女性はドアが開くと、乗降客が通れるようにだろう、少し横にずれた。

「ここでは一度降りたほうがいいぞー」と胸の中で呼びかけるが、女性に届くことはなく、やはり想像通りの事態が起きた。

 

その女性の背中を、中年のサラリーマンが鬱陶しそうに、乱暴に押したのだった。

女性は驚く暇もなく押し出され、おっさんはせかせかと出て行った。



そんな光景に、周りの乗客がおっさんを批判的な目で見るのかと思えば、「よくやった!」と言わんばかりに我先にと車外へと急ぎ足で降りていった。



確かに、ああいった場合は一度降車し、降りる人を待つのが無難だった。


でももっとやり方はあるだろうと、あんなおっさんにはなりたくないと、そしてもしあの女性が自分の母親だったらと考えると、やり切れない悲しさを感じた。

 

広くなった出口を通りながら、少なからず俺自身もおっさんの恩恵を受けている思うと、悔しくなった。

 

 

 

東京の縮図だ。

 

入り込む隙間を必死に探し、俺のような人間は勇んで上京を決意する。

 

甘い水の入ったコップに、飛び込んでいく。

 

しかし既に砂糖は飽和していて、溶けきれないでプカプカ浮かんでいる内に、気がつけばそのまま溢れ出てしまう。

 

それでも、負けてたまるかと、

 

流されてたまるかと、

 

それでも俺は、揺れる足元を必死に踏ん張り、強く吊革を握り締める。

 

 



「国貞くんはオニギリが好きだねぇ」

 

と先輩社員に言われながら、平たい米をデスクで頬張っていた。


「好きで食べてる訳じゃないんですけどね」

と自嘲気味に返せば、

 

 

「これは数が少なくて貴重なんだ」


とパインのアメちゃんをくれた。



 

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「ギュメシデース」


目の前に牛めしと味噌汁が置かれる。

うまそうだ。と箸を取り、紅しょうがを多めに載せる。

まずは味噌汁を一口、喉を通る温かさが心地いい。


 

どんなに一生懸命、三角に握ろうとも、社会に揉まれ、角を削られ、次第に丸くなってしまう。


尖るのは子供、丸くなるのが大人だというなら、俺はオトナになりたくない。


いつまでも尖って生きてやると米を頬張りながら、俺はそんな柄じゃないだろと、とっくに気づいている。



狼の血筋じゃないから、いっそ羊の声で吠える。

 

馬鹿みたいと笑う君に、気付かぬ振りしながら。



14:28