東京 closing down

現実とフィクションと音楽。始まりのエンドロール。 Photo by shun nishimu

1.WHIRLPOOL 9/4 15:30

 

 


スケジュール帳を見返して驚いたが、何も予定のない無計画の休日を過ごすのは、実に四月最後の日曜以来のことだった。

 

休みを得たところで特別するべきことも見つからず、友人と呼べる存在も乏しかったことから、曜日感覚も忘れアルバイトに忙殺される生活を選択した。

 

確かに、たまの飲み会帰りには「明日休みだったら」と感じることも多々あった。

 

しかしそれを除けば、何の意義も見出だせない休日を惰性でだらだらと過ごすよりは、働いている方がよほど心持ちが楽であったことも事実だ。

 

 

先日の金曜日、そういえばと宅配寿司屋の土日のシフトを確認した時、自分の名前が見当たらないことに気が付いた。

 

シフトを出し忘れたか、と店長に問い合わせたところ、人手は足りているから久しぶりに休めばいいと、毎日バイトをしている自分を慮った行為であると理解した。

 

 

そんな経緯から、何も予定のない無計画の二日間を獲得したのであった。

 

 

急に休日を与えられても毎日働くことが感覚として普通であったから、小屋を与えられた捨て犬みたいに、住み慣れた段ボールを探して戸惑ってしまう。

 

どう過ごすべきか逡巡し、結局訳もなく夜更かしをして土曜日の昼過ぎまで眠って過ごすという、取るに足りない時間を消費した。

 

 

自宅に余っていたカップラーメンを昼食とし、暮れかかった日差しの差し込む台所で煙草を吸った。

 

どこかに出掛けようかと考えたが、行く宛も用事もないことに気が付いて顔も洗わず再び布団に横になった。

 

 

やっぱり予定のない休日は嫌いだ。

 

音のしない空間で一人になると、バイトを理由に考えることを避けてきた現実と現状を突きつけられる。

 

 

「休学って言ってるけど、どうせ辞めるんだろ。」

 

 

「今の生活が、東京に行ってまでしたかったこと?」

 

 

「早く大人になれよ。」

 

 

輪郭のはっきりしない誰かの声が、耳鳴りのように頭のなかで五月蝿い。

 

 

わかってる。

 

俺だって頑張ってるじゃないか。

 

毎日働いて、毎週講座にも通って、頑張ってるじゃないか。

 

 

「半年経つけど、何か得られたの?」

 

 

 

「みんな言ってるよ。あいつは逃げただけだって。」


 

 

痛いなぁ、俺はシンジ君かよ。

 

 

気が付くと眠りについていた。


 

 

目を覚ますと、時刻は20:30だった。

 

せっかくの何もない土曜日、恐れていた通り何もせず終わってしまう。

 

 

空腹を覚え、財布だけ持って近所のコンビニに向かった。

 

弁当と、パスタと、チキンを二つ。

 

痩せ型の割に、我ながらよく食べる方だと自負している。

 

ストレスで暴食し激太りした女性を思い出す。

 

俺は胃下垂で体重が増えにくく、激太りもしないだろう。

 

何から何まで中途半端だ。

 

 

 

温めた弁当をつつきながらYouTubeで好きなお笑い芸人を見ていた。

 

本当におもしろい。

 

笑っている間だけは、余計なことも考えないでいれる。

 

 

 

やはり食べ過ぎたとはちきれそうなお腹をさすりながら、換気扇の下で煙草に火をつけた。

 

 

いっそ、交通事故にでも遭えばって。

 

 

地震でも起きないかって。

 

 

会社も街もめちゃくちゃになって、「それは仕方ないね」って、そうすれば楽なのにって、思ってしまう。

 

 

被災地の実情を知れば、そんなことを考えること自体が過誤であるとは理解している。

 

 

現状を動かすための理由ではなく、現状を正当化しようとしているだけだって、わかっている。

 

 

俺は弱い人間だ、そう思い込み、「弱い人間」で完結させようと、「だから仕方ない」と逃げようとしている自分を認める度に、

コンタクトレンズのように眼球に張り付いた現実に、目を塞ぎたくなる。

 

 

満腹と得体の知れぬ焦燥感を道連れに、敷きっぱなしの布団に身体を投げ出した。

 

今日が土曜で、明日が日曜。

 

こんな時間をもう一日繰り返すと考えただけで、気が重たくなる。

 

電気を消し、眠気もないのに瞼を閉じていると、携帯電話のバイブレーターが着信を知らせた。

 

薄暗がりに眩しいディスプレイに目をやると、兄の名前が表示されていた。

 

 

3つ歳上である兄とは、現在でこそ普通に会話をしているが、一年程前まではほとんど口を交わすことが無かった。

 

どちらかが嫌っているわけでもなく、仲が悪いわけでもなく、照れくささのようなものから中学生辺りから距離をとっていた。

 

兄は小学生の頃から、周りが見ないような深夜のお笑い番組を好んで録画し、お年玉等でお金を得る機会があればダウンタウンのDVDを買っていた。

 

幼い頃から憧れの存在であり、言動を真似て、学校でも如何に面白いと思われるか、兄に近づくために試行錯誤していた。

 

歳を重ねる度、いつかの兄の年齢を経る度、一歩だって超えられていないと実感する。

 

未だに憧れを抱き、超えるよりはむしろ、認められたいと願うようになった。

 

 

「もしもし、どしたん」

 

「どしたん」

 

「いやどしたんって、兄貴がかけてきたんじゃろ」

 

俺が上京して以来、老婆心からか時折電話をかけてくるようになった。

 

そして意味の分からないことを俺に聞かせる。

 

「エネルギーって知っとるか」

 

「まぁ、何となくは」

 

「働いて、それでも趣味で仕事終わりとか休みの日にサッカーとか野球とかする人おるじゃろ」

 

「うん」

 

「そういう人に比べて、一見、仕事が終わったら真っ直ぐ家に帰って、休日も無駄なことはせず過ごす人の方が真面目で仕事が出来そうなイメージがある。」

 

「うん」

 

「でもな、仕事して、スポーツもしとる人のほうが仕事が出来ることもある。何でかわかるか」

 

「わからん」

 

「エネルギーっていうのは、休んだ分溜まって仕事した分消費するってもんでもない」

 

「うん」

 

「仕事っていう”やりたくないこと”とは別に、サッカーとか趣味である”やりたいこと”をする人は、そこで新しいエネルギーを生み出すんよ」

 

「ほう」

 

「起きた時が100、仕事に80使うとする。残ったエネルギーは」

 

「20」

 

「一方、起きた時が100,仕事に80、サッカーに30消費して、そこで60のエネルギーを生み出すと」

 

「50残る」

 

「つまり、サッカーをしとる人のほうが多くのエネルギーを消費する分、それ以上のエネルギーを生み出すことが出来とるわけよ」

 

「なるほど」

 

「そこで気が付いた。ただ俺も仕事をするだけじゃなくて、チャージせんといけん。」

 

「うん」

 

「この前Facebookで知り合った何人かと、花火をすることになった」

 

「…」

 

「でも予定が合わんとかで、実際に集まったのは俺と21歳の女の子だけ。お前と同い年じゃ」

 

「…」

 

「夜の河川敷、二人だと盛り上がりに欠けるからって、煙玉を3個、同時に火をつけた。」

 

「うん」

 

「そしたら驚くくらいの煙が出て、お互いも霞んで見えんくらいになった」

 

「うん」

 

「んで、『この煙の中だったら、何やっても周りに気付かれんね』って言った」

 

「…」

 

「そしたら、『そうですね』って言うけ、『チャージしていい?』って聞いたんよ」

 

「は?」

 

「そしたら、『チャージってなんですか』って言うけ、『Suicaみたいなもんじゃな』って言った」

 

「何言っとん」

 

「そしたら、『いいですよ』って言うけ、『とりあえず2000円分ね』って言って、」

 

「何が2000円分や」

 

「承諾を得た上で、抱き締めた。」

 

「何しとん」

 

「その内に煙が薄れてきて、俺はチャージをやめたんじゃけど、『もうちょっとチャージしていい?』って聞いたら、『いいですよ』って言うけ」

 

「は?」

 

「1キロくらい先にあるコンビニまで、全力で走って煙玉買いに行った。」

 

「まじで何しとん」

 

「6個」

 

「いや知らん」

 

「んで戻って、『次は5000円チャージしていい?』って言ったら」

 

「いや、もういいわ、この話まじで何」

 

「つまるところ、エネルギーっていうのは趣味とかで生み出すこともできるけ、働いてばっかりも良くないわな。俺の場合は、煙玉だって話よ」



 

そして何の脈絡もなく、次のような話をした。



 

俺が京都で塾の講師やりよった頃な、中学三年生の女の子とお母さんが入会の説明を受けに来たことがある。

母子家庭で、経済的に豊かじゃない上、その女の子には私立高校に通う兄がおった。

正直その学費ですらしんどいから、その子には公立高校を目指してほしいらしくてな。

そして、その子は二年生まで不登校だった。

 

塾だって高いからな、俺は敢えて最初からお金の話ばっかりした。

確かに、塾のノルマとして売上って部分は上からも言われるし入会は大歓迎だけど、家庭環境を察するに厳しいことは目に見えとった。

二年生からの勉強をし直すんだったら、最低でも週二回は通わんと追いつけんし、結構かかりますよって。

 

でもな、お母さんは言ったんよ。

この子は高校に行かせてあげたい。

親戚中からお金集めてでも、塾に通わせますって。

私がこの子にしてやれる、最後の賭けだって。

もし、それでも受からなかったら、働かせますって。

 

お金は何とかしますので、よろしくお願いしますって、

結局塾に通うことが決まったんよな。

 

俺らの家も、決して裕福とは言えん、奨学金借りんにゃ大学も行けんかったけど、色んな家庭があるってことよ。

 

お前が大学入学するとき、何十万って入学金が必要だったじゃろ。

俺達には言わんかったけど、おばあちゃんとかもお金送ってくれたり、母さんもお金借りたり、そうやってお前を大学に行かせてくれたこと、お前も知っとるだろ。

学費は奨学金で自分で払っとるかもしれんけど、そうした支えがあってこそ、お前は大学に通えとったこと、忘れるなよ。

 

まあ、やりたいことがあるって東京出たんなら、何でもいいから成し遂げてみろ。

それか、俺と芸人になるかどっちかじゃな。

幸運なことに、お前は俺の弟っていう得難い特権があるけ、まあ失敗することはまずない。

どっちにしても、お前は芸人になるけど、それまでの間、がんばれや。





何も言えなかった。

 

携帯を握りしめたまま、動けなかった。

 

情けなくて、悔しくて、腹が立って。

 

胸の中で感情が渦巻いていた。

 

おれは、とんでもない間違いを犯しているのかもしれない。






日曜日、昼過ぎに起床すると、シャワーを浴びて身支度を整えた。

 

例によって用事は何もないが、家に閉じこもっているのだけは避けたかった。

 

近所のコンビニに立ち寄り、缶コーヒーを買った。

 

設置された灰皿に近づいて、煙草に火をつける。


 

 

仰いだ青い空が青過ぎて 瞬きを忘れた

 

いつか殺した感情が 渦になる 渦になる

 

仰いだ青い空が青過ぎて 戸惑いも忘れて

 

いつか描いていた未来 渦になる 渦になる


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