東京 closing down

現実とフィクションと音楽。始まりのエンドロール。 Photo by shun nishimu

2.退屈しのぎ 9/9 20:17

 

 

秒針が小気味良い音を立てながら時間を刻む。

 

ぼうっと眺めながら、刻々と、二度無い時間を失い続けているのだと、じりじりとシャッターが下りる様をイメージした。

 

 

 

耳に飛び込んできたのは、聞くに聞き逃せない、まさに耳を疑う一言だった。

 

 

「セックスって面倒くさい。」

 

 

初老のマスターが営む“オノダ珈琲”でアメリカンを味わっていた時の出来事だった。

 

置き時計の分針が、20時10分を差した。

 

 

ぎょっとした表情で声のした方向に視線をやれば、自分より少し歳上であろう男女三人がテーブル席で向き合っていた。

 

スマートにスーツを着こなしたビジネスマン風、その隣にはストレートキャップを被り顎ひげを生やしたTシャツの男性。

 

二人の対面に、問題の発言をした張本人であろう至極真面目な表情の女性。

 

 

わからない。

 

まずこの三人の関係性がわからない。

 

スーツの男性から会社帰りの同僚かと仮定しても、キャップに顎ひげにTシャツでは説明がつかない。

 

最大の疑問は、一体どのような会話の流れがあれば、あの発言に繋がるのか。

 

 

聞き洩れる言葉の断片と記憶を辿りながら、浅煎りのコーヒーの香りを確かめた。

 

 

================

 

 

「結局男ってやりたいだけなんでしょ。」

 

 

真由は憤ったようにミックスジュースを飲み干した。

 

「そりゃできるならやりたいよ」

 

笑いながらストレートキャップを被り直す亮太を横目に、

 

「確かに、亮太みたいな男も世の中には多いね。」

 

足を組み直しながら啓介が肯定する。

 

「啓ちゃんまでそんなこと言って。」

 

「啓介はそういうところわかってくれるよな。」

 

 

三人は幼なじみだった。

 

狛江第三中学校を卒業後、高校大学と別々の進路を辿ったが交友は続き、そして社会人二年目になった今でも、時間があればこうしてオノダ珈琲へ集まる。

 

 

「真由の言うことも、亮太の言うこともわかる。」

 

軽く頷きながら、啓介はカプチーノを啜った。

 

 

そして二人の顔を交互に眺めると、コーヒーカップを持ったままの手で、人差し指を立てる。

 

「“付き合っていない男女同士のセックスを認めるべきか。”」

 

音を立てずカップを置き、にやりとして議題を投げかけた。

 

 

「出たよ、朝まで大激論。」

 

参ったというように両腕を上げて、亮太が背もたれに伸びる。

 

 

特に、亮太と真由とでは価値観が合わないことが原因で何度も言い争いになることがあった。

 

それをどこか楽しみながらも、司会進行のように仲介するのが啓介の役目だった。

 

 

「あり得ないわ。」

 

言わずもがな既に討論会に参加した真由は、考えられないとでも言うように首を振った。

 

「そういう行為は、ちゃんと付き合った人とするべき。当たり前よ。」

 

苛立ったようにストローを口に咥えたが、グラスには溶けかけた氷しか無いことに気が付き、手を挙げてマスターを呼んだ。

 

「確かにそうだな。」

 

腕を組んだ啓介が肯定すると、

 

「俺はいいと思うけどね。」

 

負けじと亮太も反論する。

 

「確かに妊娠させてしまったらアウトだけど、ちゃんと避妊した上で、更にお互いの同意のもとだったら誰にも迷惑はかけない。」

 

「それもわかるな。」

 

「わからないわ。そもそも、セックスに対しての考え方が軽すぎる。」

 

マスターにおかわりのミックスジュースを注文した後、真由も反撃する。

 

「セックスは好きな人に対する愛情表現だってこと。キスやハグと同じよ。好きな人としかしないからドキドキするんでしょ?もし誰とでも見境なくキスでもセックスでもしてたら、本当に好きな人としても何も感じなくなるわ。」

 

「真由は考え過ぎなんだって。気持ちいいことを共有するだけじゃん。」

 

「好きな人以外としても気持よくないわ。」

 

啓介は苦笑しながら、熱くなる二人を制した。

 

 

「どちらの言うこともわかるよ。少し俺の意見も聞いてくれないか。」

 

「啓介が乗り気だなんて珍しいな。」

 

確かに、普段の啓介は中立的な立場を持って二人の意見の聞き役に徹していた。

 

論点がずれれば元に戻し、双方が納得する結論へ誘導するのが上手かった。

 

「いいよ。私もたまには啓ちゃんの意見聞きたい。」

 

真由は前のめりだった体勢を正し、凛とした表情で啓介を見つめた。

 

 

亮太曰わく、“黙っていればかわいい”類の女性らしかったが、確かに通った鼻梁と切れ長の瞳は目を引くものがあり、学生時代にはミスコンテストに推薦されるほどだった。

 

しかし癖の強い彼女は「女性に向けた男の声援ほど鳥肌の立つものはない」とそれを辞退したというのだから、まったく真由らしいと啓介と亮太は笑いあった。

 

 

「実を言うと、俺は今回亮太寄りの意見なんだ。」

 

「嘘でしょっ」

 

早くも前のめりになり目を見開く真由。

 

「啓介、お前は男だ」

 

援軍が来たと握手を求める亮太。

 

「まあ少し聞いてくれ」

 

眉をかきながら啓介は笑った。

 

 

「二週間前くらいの話だ。会社の飲み会があって、つい盛り上がりすぎて同期の女性が終電を無くしてしまった。」

 

「おいおいまじかよそれって」

 

一人先走る亮太に苛立ちを隠さず、真由はテーブルの下で足を蹴った。

 

痛がる亮太を哀れみながら、「ありがとう」と話を続けた。

 

「その子とは入社当時から仲が良くてね、途中まで家の方向も同じだったから、仕事終わりにご飯に行くことも結構あったんだ。」

 

「何かいいなそういうの。うちの会社だと絶対ないな。」

 

「ところがそうでもないんだ。」

 

啓介は一度話を止め、少し考える素振りをして、苦い思い出を呼び起こすように口を開いた。

 

「たぶん、彼女は俺に好意を持ってくれていた。」

 

「そりゃそうだ」

 

亮太が羨ましそうに頷く。

 

「俺としてはあくまで、友達として向き合ってきたから、恋愛的な感情は持っていなかった。」

 

「啓ちゃんらしいね。」

 

「ところが例の飲み会の日、こんな言い方は好きじゃないんだけど、独り身の寂しさと酔っていたせいもあって、この子となら付き合ってもいいかなって、そう思ってしまったんだ。」

 

亮太は茶々を入れず、足をさすりながら聞いていた。

 

「そしてそんな日に限って彼女は終電を無くした。タクシーで帰ると言ったんだが、俺の乗る路線はまだ動いていたから電車で行けるところまで行こうと、同じ電車に乗った。」

 

さめたカプチーノを口に含み、それでもなお香りを楽しむにゆっくりと飲み込んだ。

 

 

「電車で眠ってしまった彼女を放っておけないから、おぶって俺の部屋まで連れて帰った。」

 

一つ溜め息をこぼす。

 

「きっと彼女はそれを狙っていたんだろうな。俺がベッドに寝かしてやると急に抱きついてきた。」

 

「おまっ」

 

乗り出しそうになる亮太を、真由が鋭い目で制した。

 

「後はもう察しての通り、してしまったんだ。そして気付いてしまった。俺は彼女を愛していないってね。」

 

 

少しの沈黙があり、テーブルの上には秒針の進む音だけが響いていた。

 

「亮太ならわかってくれるだろうけど、男っていうのは果てた後、どっと疲れが来るものだ。」

 

そうだな、と笑いながら亮太が頷く。

 

 

「真由は、セックスの後に男が冷たいって感じたことはないか。」

 

急なパスにたじろぎながらも真由は答えた。

 

「たまにあるかな。前の彼氏はそんなことなかったけど、すぐに別れちゃったり上手くいかなかった人はそうだったかも。」

 

「そこなんだよ。本当に男が女を愛しているのなら、終わった後でも彼女を愛せるはずなんだ。ところが好きではない女性の場合、もうどうでもいいとか、一瞬でもすぐに寝てしまいたいって倦怠感が勝って、女性を構ってやれなくなる。」

 

 

「確かにそうだ。クラブで拾った女とか、多少かわいくても終わってしまえば興味なくなる。」

 

「最低ね。」

 

真由は突き放すように返した。

 

 

「最初の話に戻れば、相手のことを好きかどうかわからないって時あるだろ。男の場合、そんなときにセックスをしてみればいいと思う。本当に好きだったとしたら、セックスが終わった後でも愛おしく感じれるはずだ。逆に何も感じなかったり罪悪を感じたのなら、それっきりにすればいい。」

 

「でもそれって女の子がかわいそうだよ。」

 

「確かに、あまりに男中心的すぎるかもしれない。ただ、中途半端な気持ちで付き合って人生という時間を浪費するよりも、一回で済むのとでは結果的に女性にとっては幸いなのかもしれない。」

 

啓介はカプチーノをゆっくりと飲み干し、相変わらず音を立てずにカップを置いた。

 

 

「まあこれが正しいってことではなくてさ、一つの指標として、色々な形があっていいと思うんだ。」

 

 

「なんだか、セックスって面倒くさい。」

 

 

真由は肩をすくめた。

 

 

 

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なるほど、想像を止め、現実に引き返す。

 

その流れがあってのあの発言だったのか。

 

辻褄が合った事に満足し、温かいコーヒーカップを持ち上げた。

 

 

いい香りだ。

 

ブレンドコーヒーとは、数種類のコーヒー豆をブレンドして焙煎することからそう呼ばれる。

 

とは言え、アメリカンコーヒーは一種類の豆のみを焙煎している訳ではない。

 

こちらも数種類の豆を使用することがあり、何をブレンドするのかはマスター次第だ。

 

 

ではブレンドとアメリカンの違いは何か。

 

それは豆を深く煎るか、浅く煎るかの違いだと、二度目に来店した際にマスターが教えてくれた。

 

深く焙煎された色の濃いブレンドは、見た目に反して味が濃すぎず飲みやすい。

 

一方アメリカンは少し色が薄く、一見水っぽい印象を受けるが口に含めばその深みのある濃さにギャップを受ける。

 

 

俺はアメリカンが好きだった。

 

コーヒーの味に特にこだわりはないが、何も考えてなさそうでいて、蓋を開けてみれば深層まで複雑に絡んだ思想があるような、イマジンを体現するメタファーのように受け止めている。

 

 

見た目や発言の断片だけで決め付けた先入観は、そのものに対する理解をそこで止めてしまう。

 

 

末端の言葉だけを切り取り、あのテーブルは破廉恥だと決め付けず、その奥に潜んだ真意を汲み取ることで視野は広がるのだ。

 

 

何となく嫌っている人に対する“好きになれない要因”を掘り下げて元を辿ってみれば、「あいつは○○だ。」と、第一印象だけで理解を止めていることがある。

 

ところが実際に会話をしたとき、案外良い奴じゃないかと判断を改め、気が付けば仲が深まっていたというような経験は、珍しくもないだろう。

 

 

大切なのはイメージ。

そしてファクト。

 

どちらも欠けてはならないし、どちらに依存してもいけない。

 

時計を眺める。

 

紛れもないファクトで在りながら、どこかフィクションじみたその存在は、イメージに傾倒しそうになる自分に圧倒的な現実を思い出させる。

 

8時15分で止まった煤の付いた懐中時計。

 

14時46分を差したままひび割れた壁掛け時計。

 

真実の目撃者はいつだって、時計なのかもしれない。

 

 

 

帰り際、例のテーブル席をちらりと覗けば、楽しそうに談笑する三人の姿があった。

 

セックスについてあそこまで楽しく語り合える友人の存在を羨ましく眺めながら、ご馳走さまです、とステンドグラスがはめ込まれたドアを開け、店を出た。

 

 

 

20:17

 

 

 

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「セールスって面倒くさい。」

 

女は肩をすくめた。

 

「確かに、セールスは面倒くさいよな。」

 

スーツ姿の男が笑う。

 

置き時計の分針が、20時10分を差した。

 

 



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