愛煙家たちのジハード
とある日、禁煙を始めた。
煙草をやめた、ではなく、禁煙を始めた、とするあたりに意志の弱さが窺える。
そもそも俺が煙草を吸っている理由は、格好いいから、だけである。
一人でコーヒーを飲みながら煙草を吸う、友人とだべりながら煙草を吸う、それらが俯瞰で好きだった。
ただ常習的に喫煙する以上、臭いであったり、各所の黄ばみ、そのほか人体へのなんたるやも付いて回るもので、その点についてはそれなりにうんざりしている。
禁煙を始めた背景には、そんな心身に関わる部分と、昨今の嫌煙傾向とを考えたときに、格好だけでは続けていられないなと思うところがあった。
それにしても輪をかけて厳しくなる喫煙者への蔑視にはさすがにこたえるものがある。
街中から灰皿が消え、飲食店から喫煙席が消える。
オフィスや電鉄、ところ構わずぷかぷかと煙をくゆさせていた時代はもはや懐疑的ですらある。
確かに煙草は臭いし壁紙を変色させる、飲み会帰りの衣服はまとめて洗濯機に投げ込みたくなるし、健康面では他者にすら実害を与えるともいわれている。
いつも会社で一緒に煙草を吸っている同僚は、
「煙草だけを毛嫌いするのはおかしい、問題視するなら酒の方がまずいだろう。飲み会での悪絡み、飲酒運転による事故、その他、タチが悪いのは酒だ。煙草を規制するなら酒も規制しないと道理にかなわないぜ」
と自らが下戸であることも相まって、苛立ちながら煙草を吸っていた。
俺はそんな野暮なことは言わない。
酒の話は置いておき、善悪ではないと思うが、譲歩すべきは喫煙者の方だ。
共存しようなんて高飛車に出てはならない。
ひっそりと、誰の迷惑にもならないような場所で、ぷかぷかとするのだ。
もはや煙草がステータスとして認められる時代ではない、イレギュラーで、アウトローなのだ。
もはや格好は悪いんじゃないか。
そして煙草をやめようと思った。
とはいえ、毎日欠かさずニコチンを与え続けた身体だ、はいさようならと、やはりそう簡単に絶縁とはいかないものだ。
「煙草を吸いたい」という欲求よりも先に、朝起きたときに一本、コーヒーを飲むときに一本、食後に一本、といった具合に、条件反射に似た感覚で煙草を吸っていたものだから、それらの習慣が無くなった途端に手持ち無沙汰になってしまう。
それだけの時間を喫煙に費やしてきたということなのだけれど、煙草を吸わない人はこの時間をどう使っているのか聞いて回りたいほどの不安に駆られるのだ。
禁煙初日の朝、迷い犬のような表情で朝を迎え、煙草一本分いつもより念入りにヒゲを剃って出勤した。
オフィスビルに入る前には最寄りの喫煙所で煙草を吸っていたものだけれど、名残惜しく思いながら喫煙者群を素通りし、いつもより十分早くデスクに着いた。
業務中、「国貞、煙草、行くか」とくだんの同僚がアイコンタクトを送ってきた。
いつもは立席を合図に応えていたがこの日は「悪い、煙草、行けない」とアイコンタクトを返した。
同僚は最初のうちはさして気にしなかったようだが、それから二度ほど断りを入れた後、夕方になるとさすがに怪訝に思ったらしい。
デスクに近づいてくると、どうした、と事情を尋ねてきた。
「煙草やめようと思って」
「正気かお前は。そんな慣れないことやってると寿命が縮まるぜ」
「それは知らなかった。まぁでも、俺は嫌煙家側に回るよ」
「全愛煙家を敵に回したな。果たして、いつまで耐えれるのか」
同僚は悪いことを考える顔をしながら喫煙所に消えていった。
これがほんとの犬猿の仲、なんて考えていると、東京新聞の夕刊で、ある見出しに目がとまった。
“ホームレス支援誌「ビッグイシュー」 クイーン効果 異例の「完売」”
映画「ボヘミアン・ラプソディ」でフレディ・マーキュリーを熱演したラミ・マレックのインタビューが掲載された号が完売したらしい。
なんとなく、嬉しいニュースだった。
「ビッグイシュー」を認知している人はどの程度いるのだろうか。
前に仕事で「ビッグイシュー」について調べたことがあり、取材もさせてもらっていただけに思い入れもあった。
実は、厚労省の調査によればホームレスは2000年初頭に比べて7割以上減少しているのだとか。
しかし、それは厚労省の定義する「路上生活者」に限った場合だ。
「路上生活者」が減少する一方で、ネットカフェやファストフード店などの深夜営業店舗に寝泊りをする、若年層ホームレスが増加しているという。
彼らは食事や寝床よりも身なりを気にし、路上での生活を避け、炊き出しにも姿を見せることがないため、「目に見えないホームレス」と言われている。
そんなホームレス問題の解決にビジネスの手法で挑んだのが「ビッグイシュー」だ。
「ビッグイシュー」という1冊350円の雑誌をホームレスの人に路上で販売してもらう、いわばビジネスパートナーとするのだ。
最初の10冊は無料で提供、それを売り切った売上金を元手に、今度は1冊170円で仕入れてまた販売、1冊あたり180円を彼らの収入とするのだ。
支援するのではなく、社会復帰のチャンスを与えるのだという理念が面白い。
そして売り場は、路上だ。
自身もそれまで気に留めなかったが、確かに東京を歩いていると街角で雑誌を販売している男性を見かけることがあった。
トレードマークである赤いキャップと赤いベストを身につけた販売員が、駅前、交差点、オフィス街など人通りの多い路上で雑誌を掲げている。
何をやっているのか知らない人からすれば、正直なところ、怖い、と思ってしまうのではないだろうか。
いくら認知が広がってきたとはいえ、やっぱり「ホームレス」の響きに対する印象を良しと思っている人は少ないだろう。
赤いキャップをかぶった販売員を見かけても、雑誌自体よりも先に、髪型や佇まいから「ホームレスの人かな」なんて印象を受け、購入はおろか近づきさえしない人が多数なのではないか。
一方で、「ビッグイシュー」について理解している人にとってみても、複雑なところはある。
ある人は「偽善っぽくて買うのを躊躇する」と言っていた。
本屋ですら雑誌を買わないのに、それが「ビッグイシュー」だから、というだけ理由で購入することに、ハードルを感じてしまうのだという。
要は、雑誌に興味がないのに、ホームレスの人にちょっとでも貢献してあげたい、という行動にいやらしさを感じてしまうのだ。
駅前で募金を呼びかける学生、路上ミュージシャンへの投げ銭、コンビニの募金箱、お金を入れる人と入れない人との差は、お金に余裕があるかないかよりも、ある種の鈍感力だろうか、その外からのいやらしさに耐えれるかどうか、が大きいと思う。
もちろん俺は、いやらしくもなく、偽善でもなんでもないと思うし、むしろそう客観視できることを誇ってもいいとさえ思っている。
そしてその点はもちろん、販売員も承知しているのだ。
だからバイアスを取り除くために、とにかく長い期間、同じ場所で販売を続ける。
現に、購入者には常連客が多いという。
「駅前でいつも販売している彼」と認知してもらうことで、購入へのハードルは下がるし、接客もはきはきと元気に明朗に努めれば、個人としての好感度もあがる。
そうして徐々に、ゆっくり、地道に、販売を続けるほかない。
また当然、全ての販売員がうまくこなしているわけではない。
身体的、精神的に挫折する人も多い。
そんな状況を鑑みると、“完売”というニュースは気持ちを明るくさせた。
普段売り切れることは滅多にないこともそうだけど、何より慈善を抜きにして雑誌を手に取ってくれた人が大勢いたという事実が嬉しかった。
一方で自分はというと、「ビッグイシュー」を掲げる販売員を見かけると、どうしたらいいのかわからない気持ちになる。
自分の境遇とその人との対比であるとか、その人に対して哀れみの念を抱く自分に嫌悪もする。
雑誌に興味がないのならば、購入したいと思うのは「彼に対して何かしてあげたい」という気持ちからで、裏を返せば善行をしたと感じたい自己満足でしかないんじゃないか。
周囲の人から偽善者の烙印を押されるのではないか、こうして徳を積んだ気になるのか、自分はいやらしい人間なのだろうか、なんて考えが生温く、ぐるぐると頭と胸を行き来する。
現実には、偽善だろうが販売員にとってみれば売り上げには変わりないだろうし、俺の財布から350円が消えたところで、給料日までの暮らしに大した影響もない。
分かってはいるのだけど。
動機が「慈善」であることが、たった数歩の距離に二の足を踏ませる。
そうして結局その場から去ってしまって、マジョリティに隠れこむ自分が一番いやらしい。
翌日、例によって禁煙中の俺はチワワのようにぷるぷる震えながら起床し、いつもより早く家を出て、いつもより早く会社に着いた。
なんだか空気が美味しくなった気がする。
同時に昨日以上にニコチンを欲してもいる。
パソコンを開くと、おや、と思った。
キーボードの隙間に、煙草が一本挟まっている。
しかし銘柄から、同僚の仕業だとすぐに気づいた。
ちらりと視線を上げると「国貞、煙草」とやはりニヤニヤしている同僚の姿があった。
「煙草、やめた」とアイコンタクトで伝え、その一本をデスクの隅に追いやった。
同僚は不服そうにまた悪い顔をした。
その後も誘惑に負けないように業務に集中し、いつもは煙草休憩に立つ時間には意図的に同僚と目を合わさず、作業を続けた。
その間、同僚はうらめしそうにこちらを睨んでいた。
仕事がひと段落し、さて、と書類を取り出そうと引き出しを開けたとき、今度は二本の煙草が入っていた。
誰の仕業かは明々白々だ。
顔を上げると同僚は無音で大笑いしていた。
黙ってそのまま引き出しを閉め、ランチに行こうと席を立った。
「おいおい、ほんとにやめちまったのかよ」
同僚が後を追ってきた。
コンビニに入ると、おにぎり二つとカップ麺を一つ手に取り、会計待ちの列に並んだ。
すると同僚が俺の手から商品を取り上げ、「禁煙祝いに奢ってやる」とやっぱりうらめしそうに睨んできた。
苦笑しつつ、サンキュー、と礼を言い、レジ奥の煙草の陳列棚を何気なく眺めた。
ふと赤いキャップの販売員が美味しそうに煙草を吸う様子を思い出した。
ある日の取材で彼は思いを明けてくれた。
この仕事で普通に生活しようと思えば、正直かなりしんどいです。
結局“普通”が一番幸せで、一番難しいことなんだと、今は思いますよ。
でも、なんていうか、やりがいってんでしょうね。
毎日路上に立って売ってると、頑張ってくださいとか声をかけてくれたり、暑い日には飲み物渡してくれたりする常連さんなんかもいたりして。
それがものすごい嬉しいんですよ。
なんだか社会の一員になれた気がして。
そんな励みの中で、こつこつと貯金して、やっとアパート借りれたり、新しい服を買ったり、仕事の面接に行って、また一からスタートできるのかな、とか。
そんな目標があると、頑張ろうって思えるんですよね。
ビッグイシューやる前はこうやって煙草を自分で買うなんてしなかったもんな。
彼は嬉しそうに「わかば」取り出すと、心底美味しそうに火をつけた。
そして、最後に笑った。
「こんな俺でも何とかなるかもしれない、そう感じられるんです」
目の前で商品がレジに通されて、同僚が財布を取り出していた。
俺はレジ横の百円ライターを一つ手に取り、
「あと、オプションの5ミリも一つ」
と店員に馴染みの銘柄を伝えた。
「禁煙祝いに奢ってやるってのに、どういうことだよ」
今度赤いキャップ見かけたら、買ってみよう。
興味がある内容だといいけれど。
ふがふがする同僚を横目に、禁煙は明日からかな、とひとりごちた。